はにわ展

はにわ。いま、東京国立博物館が総力をあげて、推している(たぶん)せい、もしくは成果。平日、寒い、雨。結構な条件にもかかわらず、なかなかの人の列。

そう、わたしの推しは縄文。断じてはにわではないのだけれども。せっかく東京にいるのだし、ぽっかりと時間ができたことでもあるし、挂甲の武人も5人そろうことだしし、と理由をつけてやってきてしまった。ごめん、土偶…。

はにわってのは、昨今では美術品として評価されているんだな、ってのをひしひしと感じた。というのも、修復跡ができるだけ目立たないようになっているのだ。考古学資料、として考えるならば、修復部分ははっきりと目立たせたほうが、わかりやすい。修復されたばかりの「踊る埴輪」は、何処が出土したのかガブリ付きで見ないとわからない。昭和の踊る埴輪の写真では、修復部分は一目でそれとわかる状態だったように思う。そのころと比べると、まあずいぶんと立場が変わったってこと、なんだろう。

はにわは、総じて、やさしいお顔立ちをしている。それでいて、おかしみと愛(かな)しみを兼ね備えている。人が人を殺し、人が人を支配し始めた時代に、こんな切ないお顔の武人が生まれたんだと考えると、その時代に生きるということの深さまでも、感じてしまう。

人波にもまれつつ、はにわはにわに囲まれて過ごした時間。一番印象に残ったのが、彩色復元された挂甲の武人・・を見ていたお姉さんが放った一言。

くいだおれ太郎に似てるね」

そうかな・・もうちょっと・・いや・・そうかな・・・

説明としては、鷹匠。ということは、鷹、だよね…。

 

西と東と

束の間におうち時間に浸りこみ、それからの浮世。東京の距離感は過ごしやすいけれども、おうちから離れるのは、つらい。浮世の義理、なんてものではなく、わがまま気ままの結果としての東京生活。こればっかりは、しかたなし。

西のほうのおうちから東京に来ると、みなさんのお行儀のよさにほっとする。ターミナル駅でも街中でも、かなりな混雑していても、何とはなしに目的地方面の流れに乗れば大丈夫、っていう安心感。

・・・というか。西のほうの公共の場でのルールって、どうなってんだろ。たとえば電車。扉が開くと横から横から突っ込んできて、7人かけのシートに5人でゆったり座る。どんだけ周りが混んでても、だ。かと思えば、おっきな荷物をぶん回してエスカレーターにつっこんでいき周りを威嚇。ともかく先にエスカレーターに足を載せたいらしい。エスカレーターでは、こっち側(東京とは反対だもんな)歩くのか、と思えば立ち止まり、とまた歩き出す。あれ、あれ、あれ、っと、みなさんの行動が自由すぎて予測がつかない。となると、周りの流れが見えないもんでわたわたしてしまうのだけれども、西の皆さんのルールを見出そうと目を凝らしてみても。皆さま、自分の自由(もしくは勝手)なペースで動いているよう、で。我が、まま、に道を拓いていかないと、かえって舌打ちを受けることになる、んではないかと思う、のですが。間違ってますかね、西の皆さま。

地域の特性、ってのはいろいろにあって。ここ数年あちこちふらふらしているもんで、なかなかにもまれてきてはいたけれども。

西のほうで、混雑したところを、ストレスなく進んでいくのに必要な、こと。意志と自我。ちょいちょいイラ、っとしますけれどもね。私も周りも。

おうちを持って歩きたい・・

 

寝言、妄想、プロ野球

日本シリーズも気がついたら終わったらしい、今日この頃。もう冬もそこまで来ていることでしょう。

プロ野球とのかかわりといえば、こんな程度のうっすいお付き合い、なのだけれども。古新聞を片付けつつ、横浜ベイスターズさんおめでたい、なんてやってた時に、ちょっともったいないと思ってしまったのだ。

日本シリーズ、確か先に4勝したほうが日本一、だったはず。ならば、さっさと決着がついちゃったときにキャンセルとなっちゃう試合が多くて3つ。これってキャンセル料とか、発生すんのかな・・いや、そも。日本シリーズまでいけるかどうかわかんないのに、12球団はみんなこの日程、球場を押さえておくんやろか、と。

それならば、と、妄想開始。

ドラフト会議の時とかに、日本シリーズ球場も決めちゃえばいいのに。くじ引きとかで。12本の棒くじ。1から7が当たり。シリーズの結果なんて、どうでもいい。でたとえ最下位であったとしても、来シーズン、うちの球場に日本シリーズはやってくる、かもしれないわけだ。

となると。

まずは選手側。第1戦から4戦を当てたチームはなおのこと、本拠地を明け渡したくないが故に力が入るだろうし。外れたチームにしても、積年の恨み晴らでおくべきか~なんてなことで、頑張っちゃうかもしれない。ライバルチームの1塁側で、日本一を決める試合ができるなんて、人によっては、ぞくぞくしそう。

そんで観客側。うまくいけばホームで、そうでなくてもこれまでにない風景を見られちゃう、日本シリーズ。たとえば、阪神が東京ドームの1塁側を埋め尽くす、なんて光景がみれるなんてのも、いとおかし。なんちゃって野球ファンが湧いて出たりなんかして、ひいきのチーム・・とかでもないけど、自分ちの近くで日本シリーズとなれば、ちょっと観に行きたかったりするかもしれない。

さらに球場側。第5戦以降はキャンセルになるかもしれないけれども、それでもリスクは1試合のみ。でもって当たってない球場は心置きなくスケジュールを詰められます。さらに。普段こないであろうお客様へ「うちの球場アピール」ができるチャンス、だったりもして。

さいごに、地元商店。ふつうなら日本シリーズとは全く無縁、だったとしても。当たり年には盛り上げ可能。まあ、甲子園の周りが巨人ファンで埋まるかもしれないけれども、それはそれ、異文化交流を楽しみつつの、商売繁盛を目指しちゃえる、なんておいしい。

観客、球場、地元商店については、日本シリーズに向けての準備期間がしっかりとれる。まあ、おらが球団以外のとこが来るかもしれん、って博打的要素もあるけれど、日本シリーズはやってくるのだ、少なくとも第1戦から4戦までは確実に。

どうだろう、これ。思いついたら楽しくなっちゃったんだけれども。野球ファンの方々からしたら、何ゆうとんねん寝言は寝て言え、くらいとんでもない思いつきだったり、するのかしらん。だれか、この寝言、その筋に訴えてみてくれんか、ね。

 

 

 

ヒーローだった

つい先日。東京でほとんど終電、ってなタイミングでの移動していた。夜は7時を過ぎたらお布団に入っていたい派なもんで、元からの予定とはいえ、なかなかの夜更かし。こんな時間にホームにいる自分、ってのにもちょっとした違和感と異世界感。そんでもって、とりあえずこの電車に乗れば寝床に辿り着ける、って安心感。都会ってば夜遅くなっても、人がたくさんいるもんだ。

電車のベルがなったのは山手線。プシュゥとドアが閉まりはじめたそのときに、階段を駆け上がってきた二人組。ホームの駅員さんは、もう閉まる(もしくは閉まった)ドアに両手を突っ込んで力任せにドアを開ける。二人に乗車を促しドアから手をはなすとガタンと閉まるドア。そして、彼がすっと手をあげると、電車は動き出した。

駆け込み乗車はキケンです。次の電車をご利用ください。

駆け込み乗車、なんて域は超えていた、けれども。次の電車がもうないのかもしれない、終電間際。

みどりの窓口が、めっきりと使いづらくなり。確認のための遅延がやたらと増え。JRってのに、ちょいうんざりしていたのだけれども。

いや、あかんやろ。危ないやん、という意見ももちろん、有り。間に合わなかったのは乗客の自己責任でしかない、ってのが大前提として。それでもやっぱり。あの時の駅員さん、すっごいかっこよかった、わ。きっぱりはっきり、お客さん優先。終電間際のマニュアルなんですよ、ってなら、JRすごい、わ。

どういうわけか状況反射、電車が見えると駆け出しちゃってたけれども。ふつうの時間帯でさらに山手線やらなれば。次の電車を待ったとしても、5分も待たない、んだから。待つわ、今度からは、待つ。駅員さんが駆け込まないで、って言ってんだし。あのかっこいい駅員さんが、ダメ、っていうなら、やらんほうが、いいに決まってる。

関係あるような、ないような。訳の分からん決意を固めて、夜更けのホーム。ほこほこしながら、やってきた電車に乗り込んだ。

メロンパン

今週のお題「好きなパン」

 

メロンパン。

ずっと一番遠いパン、だった。えらばないパン、だった。なんのひねりもなく、子どもの頃からそばにあって。あまりにも代わり映えのしない、メロンパン。だのに、だんだんと高級化?されてしまって、ますます縁遠くなってた、メロンパン。だったのに、今は。パンとみると、とりあえず、目がさがしている、メロンパン。いつのまにか、いつのまにかに、時の流れというのは、不可思議である。

とはいえ、購入に至るには、しっかりとした線引きがある。できれば150円以下、しかたないなら200円以下。もっとがんばっても、230円以下。ここまで。これ以上は、わたしのメロンパン括りからは、はずれる。

どんな価格帯であったとしても、クッキー生地はざくっとパンはふわっとしっとりと、そんなメロンパンが圧倒的に多いんだけれども、とはいえ、さはさりながら。むかしながら(あくまでイメージです)の、パンがぱさぱさ口の中の水分なくなりますね、でも構わなくて。表面がべっとり指についちゃうんですけれども、でも構わなくて。むしろそういうが。ああ、めろんぱん、ってな感慨がわいてくるような。つまり、おいしいとかおいしくないとか、そいういうのとは関係なく食べる、それが、メロンパン。

コンビニめぐって、1個づつメロパンを手に入れて、食べ比べしちゃうようなオトナになるとは思わなかった、けれども。今だからこそのメロンパン、そう思うと、わるくはない。

 

 

秋の夜長、というけれど。

ねむい。ただひたすらに、ねむい。

夜7時にはおふとんでご就寝、なんて。そして、朝もお布団から離れられない、なんて。さらに、ランチあとにシエスタ導入、なんて。

保育園児並みに、寝ている。のに、ねむい。

こうなると、生活維持、のための活動以外とれる時間など、なく。家の中は荒れていくし、自分自身も荒れていく…。これじゃいけない、とひさびさに湯船にお湯をためて。ゆったり浸かってそのままご就寝。あんまりの寒さに目が覚める、ってのは、秋の夜長の過ごし方としても、身体のメンテナンスとしても、よろしくない。

ねむい。ねむい。ねむい。

あたまの8割くらいは、眠気で占められている、ような今日この頃。

みなさま、いかがお過ごしですか。

 

功夫(※日本では、カンフーハッスル、というらしい)

自分ちのソファーに沼っている。もう十数年、いっしょにいる。お高いお買い物であったが、十分に減価償却されている、そう断言できる。

沼にぬまぬまと沼りながら、カンフー映画鑑賞。深夜放送を録画しておいた「功夫」。少林サッカーの監督さんの作品、ということしか情報はないけれども、自宅でぬるっと鑑賞するにはちょうどいいかな、と。

いやほんと、ちょうどいい、ぬるさ、だった。

ストーリー性、なんて無粋なことは、言えない。そこを敢えて一言でまとめるとしたら、素っ頓狂。おいおいおいおい、なんて突っ込みながら、途中で寝落ちしても、大丈夫。カンフーだけにあっけなく人が死んでいくシーンもあるもんで、不謹慎な気もするけれども、総じてのんき。自分ちのソファーにすっ転んで、ゆやぁんゆよぉんと過ごすのにちょうど良い、そんな作品。実際に見終わったあと、そのまんま何にも考えずに、その日を終わりにできました。ということで大成功。

翌日。どうすっかな、と思いながら、でも多分、もう一度はみないな、と消去しましたけれども。秋の夜の過ごし方、としては、まあ中の上。