花の名前

つつじ と さつき の区別が、びみょう。。

こでまりとかハナミズキとかモクレンとか。母に聞くと、さらっと教えてくれていて、そのおかげで、なんとなく恥ずかしくない程度には認識している花の名前。いや、桜と梅と間違えて、周りに妙に気を使わせてしまったのは、この春だけれども。ほんと有名どころで何しとんねん、、、、って嗤うしかなかったことはおいといて。

街路樹でも公園でもひとさまの庭でも。彩があふれているのが目に映ると、少しクールダウンできるので、ほんとに感謝しているのだ。

花の名前、、きれいだよね、なんだっけ、、、って。さらっと聞けちゃう人に、ほんとは、あこがれている。

さて、どっち。

 

ガチャと落とし穴

土偶、も、ガチャで、出る。

なんてことをちょこっと前に知りました。ハニワは、なんとなく踊っていたりするもんですから、ガチャってても、あり。ってのはまったくの偏見ですけど。そしてこのところのガチャを見るにつけ。どこを目指してマーケティングしてんだ、これ、ってなのが結構あるので。土偶も、いいと、おもうのです、が。これが、なんてか、落とし穴。縄文にずぶずぶと沼りかけてるオトナには、とんでもな、落とし穴。

3種2色の6パターン。目指すは土偶、ハニワも良い。武人は、まあどっちでも、てかなんでここに武人なんだよ。ってなことを思いつつ、2回。・・手元には色違いの武人2個。ほんとはここで終わりにするつもり、だったのだけれども。この武人を喜んでくれそうな(押し付けられそうな)先を、ちょい無理やりに思い出し。で、さらに2回で計4回。‥手元には薄めの武人1、濃いめの武人3。つまり、武人が4個。4こおおおおおおおおおおお。。。

土偶はもちろんハニワさんも。人気者すぎて、ぬかれたにちがいない、、ガチャの中は武人だけ(まったくの私見です)だったの、さ。泣いたりなんかしない、し。オトナだし。。

まあとはいえ、しばらくたてば。手元の2個の武人さんも、これはこれであり、と愛着、らしきものも芽生え。そのうえで、やっぱり土偶さん、、なんて募ったりして、積みあがり。。半月経っても気になるんだから、これはすでに、恋、かもしれん。こんなことはめったにないし。ともかく、もう一度だけガチャを訪ねることにする。もう亡くなってたら、それまで、で。

ちゃんとまってた、土偶さんたち。うん、きっと待ってたに違いない。。小銭を集めて、2回。・・色違いで2個の武人、さん。。。いや、うん、軍隊、作りたいのかもしれない。いや、厄除け、、かも。。武人さんがこれだけいれば、きっと安らかに眠れる、はず。。と言い聞かせてみるけれども。。いやしかし。お札をもってふらふらと両替機に吸い寄せられる。いやすでに、6回ガチャってる。いくら突っ込む気なんだよ、わたし。子どもの頃の5円ガチャ、ではない、1回300円、あの頃の60倍。

ちゃんと良心(かもしれないもの)は仕事してんのに、抗えない恋愛脳。。さらに2回は、ハニワ・ハニワ。。武人以外もいたんだね、よかったよかった。で立ち去れ自分、という声も聞こえる、けれども。あと1回分の小銭が、有る。。ここまでやったら、いっちまえぇぇぇぇぇ。。。

で、なんとの、土偶。。。。濃いめの土偶。。。

ガチャのカプセルにそっと戻して、かばんに入れて、そそくさとその場を離れる。ガチャの中にはあと2個のカプセル。全部連れて帰りたくなっちゃうからね、、出来るだけ素早く離れろ、ここはほんとにキケン地帯。

家に帰ってきて、カプセルをすべてあけて。すでに家にいる武人たち(2個はプレゼント済み)といっしょにどこに飾るかな、、なんて部屋の中を見回し。ぶちまけたカプセルに目を戻すと、さ。

ウミガメ、かな、、なんか生まれてるし。。

一気に冷静になったアタマん中の電卓が、お仕事をはじめる。。ランチを外で食べるとして、800円くらい。ガチャ9回で2700円。

ひえっ、、オトナの恋って、カネかかる、とは聞いたことあったけど。日常の価値観、ぶち壊しにきやがった。。まさか自分がってのは、災難にあった人がよく言ってるけど、さ。いや、、コワイ。。

武人さんに守ってもらわんと。

砂浜のウミガメのたまご、、だったかもしれない。

 

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ビエネッタ

オトナになってよかった、、なんて思うこと、そんなには、ないけれども。

ビエネッタ。

まだ、あった。まだあったのね、ビエネッタ。。冬の肉まんくらい、小走りでかえってきましたよ、ビエネッタ。

ひとりですきな時に好きなだけ食べていい、、なんて。すごいことが、おきてる。。切らなくてもいい、フォーク突き刺してOK。なんならかじりついても、怒られることは、ない。

オトナ、すげぇ。。

いちおう、フォークは持って。いや、置いて、写真を撮って。今日のばんごはん、です。いただきますぅ。。

包装のむき方が、雑い。まったくもってうかれすぎ。
だって、びえねった、だもん。

 

むかしのはなし(5:田植え)

つばめを、みた。

商店街の軒先に突っ込んで、ここじゃなかったか、、ってな感じで飛び去るつばめ。次の日は、ここにすっかな、、ってな感じで商店の壁のちょっとしたでっぱりに張り付いていた。そろそろと春が逝く。

GWは種もみまきのお手伝い。必ず1日はそうだった。祖父が父が、自分ちの米ともち米を作っていた。もち米は時期が少し違うのと量が少ないので、気がついたら終わっている。でも、米は、一家総出の大仕事。種もみは水につけておいて、苗床に土をひいてから種もみをまく。ぐるぐると父がハンドルをまわし、種もみがびっしりとまかれた苗床を運ぶ。簡単なビニールハウスの中にきちんと並べていく。全部でどれくらいあったのか、とりあえず朝からやって、ひるごはんには終わっていたから、それほどでもなかったのだろうけれども。がらがらまわるハンドルとうごく苗床、ささぁっと降る種もみ。ハンドルを回す仕事は祖父か父。加減が難しいとかなんとか、子どもには任せてもらえない。

この作業のころに、つばめがやってくる。納屋の中にいつも巣をつくっていたから、納屋の入り口の一番上のガラス戸の1枚を半分割って、つばめの出入り口にしていた。つばめが巣を作り始めるのを見つけると、そこの下に段ボールをおく。つばめがみんな旅立つまで、つばめのトイレとなる。今年の巣はヘビに襲われないといいね、去年は卵がおちてたね、、なんて話しながら、何処に段ボールをおくか、慎重に決める。

家からはだいたい200メートル、納屋の前のビニールハウス。毎日、苗床に水やりをするのも、祖父か父。みるみるのる苗はふかふかで、寝転がったら気持ちよさそうな、そんなやさしい緑に育つ。5月の終わりごろの週末に、田植え。朝からなんとなく家の中はバタバタしている。ちょっと早めの朝ごはんが終わると、祖父と父は早速に農機具がしまってある納屋に行く。田植え機にとっては、年に1度の晴れ舞台。がしかし、素直に働くには、ほったらかしにされすぎている。なんてったって年に1回しか使わないのだ、大体がどこかの調子が悪い(たぶん拗ねてる)。そんなわけで、実際に田植えが始まるのは、大体が昼前。オトナの機嫌を十分に損ねたころに、よっこらせと動き出す。田植えをする祖父と父、それを見守る祖母にお昼のお弁当を差し入れ、3時のおやつを持っていく。空いた苗箱を溝(農業用水が集落の中を通っている)で洗う。機械の田植えが終わると、こんどは隅を手植えする。裸足で田に入ると、ぬめんと足を泥が舐める。曲がってるの、浅すぎだの、深すぎだの言われながら、ぬめんぬめんと苗を植える。

土日で田植えはすっかり終わる。田植えが終わった田んぼは、田んぼになる。陽が落ちるころに、つばめがとびかう田んぼをながめる父の背中をさがして、晩ご飯だよ、と声をかける。父が子どものころには、田植えの時は学校が休みになって、、という話を聞きながら家に帰るまでが、田植えの記憶。

 

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外でしたいこと(夢望、、、)

今週のお題「外でしたいこと」

 

ちょっと前から。片隅に巣食ったモノが、縄文土器もしくは土偶。土をこねてやたらと派手に仕上げちゃって、使い勝手という概念はほとんど放棄したんじゃないの、、てな火焔式土器に代表される、土器と。宇宙人なのか何なのか、目からビームを出せるとしたら貴方しかいない、、てな遮光器土偶に代表される、土偶と。

そも縄文時代っていったら。狩猟採集で石斧振り回している、毛皮着てはだしの方々が、おなかがすいたらお引越し、のミニマリスト生活。。てなわたしの思い込み縄文。ちょい立ち止まると沸きあがる、なぞ。それが。ミニマリストな方々に、実用性を犠牲にした(もしくは無視した)モノを作ってる余裕なんて、、あったの。。。

ちょい立ち止まる機会をくれたのは、新潟県津南町のなじょもん。去年の夏、まあどういうわけだかわからないまま、連れて行っていただいた、なじょもん。津南町の橋の欄干に火焔式土器(当然レプリカ)を見つけるまで、新潟と縄文にまったく接点なかったんですけれど、わたしの中には。なじょもん(津南町農と縄文の体験実習館なじょもん、が正式名称みたいです)の語感がわたしの感性にぴったりフィット。次のピースを探すみたいに、縄文・土器・土偶に、反応するようになってしまった。

いろいろいろいろ、アンテナたてると、ほんとにいろいろ。いろんなところに縄文は語られている。となると、ごめんなさいぃぃってスライディング土下座しなきゃなんないくらいに、わたしの中の縄文、とんでも縄文だった。。知れば知るほど、さらにさらにと気になってきて。もっともっとと、欲しくなる。なんならガチャでも手に入っちゃうんだけれども(当然レプリカ)、欲がふかあぁく、なってきて。縄文に、欠片でいいから、触れてみたい。。

合法的に、そういうわけなら、発掘、やろ。縄文時代の発掘調査、、やってみたい。。。土偶、、はアイドル、出逢うのはなかなか難しいにしても。土器、のかけら、くらいなら。きっと手に取ることもできる、はず。縄文の方々の生活していた地平面で、おんなじ地面を踏みしめることだって、出来る(てか、そうでないと発掘調査になんないような気もする)。。

屋内で、、ってのが想像できないもんで、外でやってみたいこと。縄文時代の発掘調査。どこでどうしてどうやって、、なんてなにひとつ、現実化までの道のりが思い浮かばない、ので、ほとんど野望、、というよりも夢望。。。

とはいえ。縄文時代の発掘跡を公園としているところはそこそこにあるみたいなので。まずは、そんな公園で縄文のかけらを探してみるかな。

 

 

わいるどらいふ

公園のベンチがにぎわう季節。おにぎりを食べながらぼやんとランチタイムを満喫していたときのこと。目の前に広がるのは、楽しく遊ぶ子供たち、、ではなくて、おそらくの建設予定地。背中に公園のざわめきをしょって、これから何が建つのかねえ、、なんてむき出しの地面とその向こうの神社の樹を見るともなしにながめる、至福のまったりタイム。

カラスが一羽、小鳥(スズメより大きいけれども、たぶんハトほどは大きくない)を空中でキャッチ。そのまま、地面に降り立ち鳥を足で抑えて、羽をくちばしでむしっている、、ような。ともかくカラスの周りに、ふわふわと鳥の羽が舞い、ぴちぴちと陸に上がった魚のようにカラスの足の下で跳ねる。と、もう一羽カラスがやってきて、少し離れたところで見守っていて。二羽で連れだって飛び上がったカラスの爪にはしっかりと小鳥(もう動かない)が掴まれており、そのまんま神社の樹の中に消えた。

ひえっ、、と声をあげて、突然に立ち上がる、、ってた、わたし。立ったまんまで、暫し茫然。BGMのざわめきもしばらくは遮断して、カラスに夢中になってました、、けれども。ひとりでかなりの不審な行動、、やん。。と我にかえると、とりあえずベンチに腰をおろす。こんなに身近なワイルドライフ、気が付いた人がほかにもいたのか、どうか。後ろを振り返る勇気はないので、カラスが消えた樹を見上げていると。はらはらと鳥の羽が、樹のかなり上のほうから落ちてくる。。夢じゃなかった、ワイルドライフ

こういうときのおひとりさまなオバチャンは、いったいどうやって、心をおさめてるんでしょう、、ねえ。。いまの見た、、ぴちぴちしてっから魚かと思ったわ、、なわけあるかい。。ってな脳内やり取りを繰り広げつつ、おむすびを持ち直す。

カラスって、ごみあさってるだけでは、ないのか。。わりと街のカラスは、野生の本能をごみ収集一択で機能させてる、、てなこと思ってた、、ごめんよ、カラス。。

てなことがあったのが、数日前。そのあと、その公園に小さな鳥の羽が落ちてるのを見つけるようになって。踏みつけないように下を気にしながら、歩く。ちょっとだけ、ご冥福を祈ったりも、している。

手を洗いに行くたびに、ちょい気になる
名前は知らないけれども、かなり上品なお方、とお見受けしております。

 

 

むかしのはなし(4:はじめての葬式)

裏のおばあちゃんはいつも家の角に座っていた。大きいといえば大きいけれども座るには小さな高さ20cmほどの石。うちの裏玄関(家族用)をでると必ず出会うところなので、挨拶は、する。けれどもそれが返ってくるかどうかはおばあちゃん次第。ほとんど意味のあることを話すことはなく、ただ朝から暗くなるまで、そこに座っていた。なので子どもな私は。どうにも相手がいないときにおばあちゃんのそばで過ごすこともあった。小さな小さなおばあちゃんは、ひょっとしたらほとんどお地蔵様のようにそこでにこにこしていたから。

このおばあちゃんのお葬式、が、私にとって初めてのお葬式。

その日は良い天気だった。おばあちゃんの親戚筋の子どもが集められ、いろいろと役を任される。おばあちゃんが冥土に行くときの杖を持つ子、こいのぼりの吹き流しのような布がついた竿を持つ子、ちょうちょが揺れる飾りを持つ子、花の飾りもあったかもしれない。長い竿の先に大きな網目のかごをつけてその中に折り紙を切ったものを入れたものをもつのは少し大きな男の子だった。棺桶に入ったおばあちゃんが頭に白い三角をつけていて、棺桶をかつぐ大人の男の人も役割を持たされた子も同じように白い三角をつける。棺桶をかつぐ人たちはわらじを履いていて、これが珍しくてチラチラ見ていた。杖を持つ子が先頭で、吹き流しと飾りを持つ子は棺桶の前後に。かごはふたつ、一番後ろ。かごの中の色とりどりの折り紙を小さく切ったものが入っており、歩みに合わせてはらはらと花吹雪のように舞い落ちる。

私は自分が持つちょうちょがお日さまにキラキラと光りながらゆらん揺らんと揺れるのが楽しくて、風に乗った折り紙が前に流れていくがうれしくて、ふわふわとその行列とお墓まで行った。手を合わせて見送る人やあとからついてくる人もいて、妙な誇らしさがあった。集落の共同墓地は遊び場と呼ばれていた広場すぐそばの山の入り口で、お墓まで上がると、白い布と手に持った飾りを大人に回収された。そのあとは広場で他の子たちと遊んでいたと思う。

この時の私はまだ小学校に上がる前だった。なので、どうしようもなく断片的な記憶しかない。でも、それでも、あの奇妙に浮き立つ気持ちが焼き付いていて。黒澤監督の映画のワンシーンのように思い起こされるのだ。

集落での葬式行列はこれが最後であったこと、さらにいえばさいごの土葬であったことも、ずいぶんあとに知った。墓地のさらに奥の山の中に土葬する場所があり、いったんそこに埋葬した後、骨を取り出してお墓に収めたのだそうだ。

そういえば。うちのおじいちゃんが亡くなったのは平成も半ばを過ぎたころだったが、白寿まで生きたお祝いと葬式饅頭は紅白(通常は白と薄緑か薄黄色)だった。遠方の知り合いから、えらく驚かれた。長生きの大往生(あくまで家族の判断)、ええおまいりやったと故人を称え、紅白の葬式饅頭はその証左、ってなあつかいなのだけれども、これは地域限定だったらしい。最近では家族葬のため、葬式饅頭を目にする機会もなくなってしまったけれども、あのおばあちゃんの葬式饅頭も、きっと、紅白だった。

 

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