情報漏洩

良い季節になりました、睡眠に。19時にはお布団をかぶって、スマホはいつの間にか何処かへ行って、目が覚めるとうっすらと朝。今どきの小学生よりも、いやなんなら保育園児さんよりも寝てんじゃなかろうか、わたし。いや、お昼寝確保ができてないから、これで良し。

というわけで、目が覚めると枕周りでスマホを発掘してチェックするのがルーティン。まだお布団と仲良くしておきたい寝起きのアタマに最適です。

で、今日。ネコの宅急便からメッセージ。住所に問題があって、荷物が届かないかも・・って、何・・??

URLが貼ってあるので、ここを押せばよいのか、、、、とやりかけて、寝起きのアタマをよぎった昨今の情報漏洩ラッシュ。私がもってるアプリも、いくつかやられていた、ような。

メッセージの電話番号は070で始まっているので、とりあえずそっちを検索・・で、大当たり。詐欺メールです、と出してくれてます、ありがとう世間。

間違えるとイヤなので、メッセージは速攻ゴミ箱へ。寝起きのアタマが活性化した、というメリットとともに、こんなおばちゃんにもニュースな出来事が起こるんだなあ、とちょっとばかしうかれた・・なんてのは、不謹慎。

はじめ。情報漏洩がまだ完全に他人事だった時は、「えらいこっちゃねえ、大変だわ・・」で、茶を飲んだ。初めて自分事になった時は、「どうしよう、何の情報をいれてたっけ」で、対象のアプリの個人情報を検索。そしてそれが二度三度と繰り返されると、「もう別にどうってことないんではないかい・・」で、聞き流しておりましたが。

やっぱり、どうってことが、あったのでしょうか、ねえ・・。

アゼルバイジャンやらどこにあるかわからにようなところから、着信があったりしても、でませんが。ネコの宅急便だと、思わずクリックしちゃいそうになるもんです。心当たりもないのに。

もういっそ、原点回帰。何かやるときは対面書面必須。本人確認は、1週間コースなんて、如何でしょう・・。

とてつもなく簡単にどんなところとでもつながれるようになって、とてつもなく世界が狭くなる。哲学的な世の中になったもんだよ、本当に。

余談ですが。

マイナンバーの暗証番号を忘れて窓口に赴いたら、写真付きの本人確認書類の提示を求められました。いまあなたの手元にあるマイナンバーカードじゃあ、ダメですか・・。運転免許証を掘り起こして事なきを得ました、が。そろそろ全く使わない免許を返納しようかと思っておりましたが、やっぱり要ります、はい。とっても安心安全な窓口対応、さすがです・・。

 

くり!

ちょっと前の話。

雨が続いるけれども、明日からは2日間晴れるらしいよ。ってな天気予報を聞いた日の仕事帰りに、スーパー店頭で栗を見つめた。栗と芋(さつまいも)は天日干ししてから、が我が家に伝わる掟。むしろに転がされていたさつまいも。でっかいざるには栗。その辺の柿を採ってちょっと拭いてかじりつきながら縁側に腰かけて眺めていたのは、いつの日か…。

明日から二日あるなら、と、思い切る。ちょうど金曜日の帰り道。

土日は、期待ほどではないにしろ、お日さまも時おりかおをだす、そんな曇り空。日曜日の午後には干していた栗を取り込んで軽く洗い、熱湯につけてふたをして、待つこと1時間。ほこぬるい栗のとんがりに一個づつ包丁で十字に切れ目を入れていく。少しやわらかくなってはいるものの、ここでしくじるとけっこう深い傷を負いますので、慎重に。栗をつけていたお湯はすっかりと淀んだ泥水色。

救い出した栗たちを圧力なべに入れ、ひたひたになるまで水をいれたらふたをかっちり。強めの中火にかけて、おもりがしゅんしゅんと踊りだすのを待ち、弱火にしてから15分。火を止めて、今度はおもりが落ちるのを待って、お昼寝。ちょっと寝すぎて小1時間、まだ温かい圧力なべのふたを外して、栗とご対面。どす黒ささえ感じる水のなかでひしめく栗たちにご挨拶。温かいうちに、皮をむきたい。

これはテレビをつけて流し見ながらのたっぷり1時間。鬼皮どころか渋川までスルッとうまく外れる子もいれば、どうにもこうにも頑固な子もいる。渋皮に手をかけてみたとて、真っ黒でこりゃ無理やん、って子もぽつぽつ。

ざるにあげて、半分に切ってスプーンで食べる、ってのも気楽でいいけれども。むいちゃいました、もいとおかし。何といっても、この演出感・・!!

季節のお仕事にいそしむジュウジツしたワタクシ。・・・たとえ、むいた栗の半分がお口の中に放り込まれているとしても。

ちなみに。この栗。あまぐりやったんか?!それともすでに蜜につけられとんのんか?!と詰め寄りたくなるくらいに、甘かった。うまかった。美味しかった。

ので。晴れ続きになった今日この頃、スーパーの店頭で栗を探している・・。

がんばったワタシの夢の痕
※一部加工あり

 

くだもの

今週のお題「フルーツ」

フルーツ、でもいいけど。くだもの、のほうがしっくりきます。ケーキなど洋菓子と一緒になるなら、フルーツと名乗っていただかないと座りが悪いのですけれども・・と、どうでもいいこだわりを披露してからの、好きな「くだもの」。

用意してある答えは、枇杷。ほんのりと甘くタネ離れがきっぱりしているところが、好き。ちょうど誕生日の頃のくだものなので、ぜいたくの言い訳にちょうど良いところもある。

ふつうに手に入るくだもので、これはちょっと・・というモノはないけれども、序列はどうしても、ある。同じ値段なら、こっち行くよね、というような。ちょっと高いけれども、アレ(ここには買う予定はないけれど、お値段が許せばぜひともなスイーツを思い浮かべております)よりは安いから買っちゃおう、というような。

この序列でワタクシ的第1位は、たぶん、りんご。言い訳を駆使して連れて帰ってます率で考えると、圧倒的に、りんご。

1個100円以下になっていると、りんごの周りをうろうろしながら言い訳を重ねる。お昼のお弁当用に1個持って行ってもいいし、腹持ちも食べ応えもなかなかいいし、菓子パンとかよりも安いし・・などなど。

ひとり暮らしをするようになってはや幾年、くだものはゼイタク品、という意識は根強い。いっそケーキなら、来客があるとか、クリスマスであるとか、なんだかんだとハードルを下げることができるのだけれども、くだもの・・理由が、うすい。くだものでなくてはいけないワケを掘り起こすのに苦労する。

りんごは、まだいい。価格的に手に届きやすくなってることがある。梨、キウイ、バナナ、スイカ、ブドウ、メロン、イチゴ、みかん。この辺りも、値段と量とその時のお財布事情によっては、連れて帰ることもある。しかしながら、どんなに言い訳を重ねようとも、購入できないくだものがある。それは、柿。

子どもの頃。そして、オトナになっても。柿は、木から採って食べるもの、もしくは余るから、とお裾分けでいただくもの。父や母がいたころ、実家には季節になると柿があふれていて、食べれるだけ食べてくれ、持てるだけ持って帰ってくれ、という扱いで。柔らかくなった熟柿よりもまだ若く硬めの柿が好きな私は、くるくると皮をむきわしわしと柿を消費していたもので。

柿食えと 言ってくれる人は もうおらず

スーパーなどで柿を見ると、欲しい・・けれども、だけれども。買って帰ったら父母に怒られるような気がするもんで、手が出ません。

今年もそろそろ柿が店頭に並び始めてます、が。・・・そろそろ一度、実家に帰ろうかなあ。

さんべ縄文の森ミュージアム

連れて行ってくれる人がいたので、島根県さんべ縄文の森ミュージアムへ。縄文ワードで誘ってくれたらしい。周囲の人々への啓蒙活動の大切さをかみしめる。縄文は自力移動手段最大値自転車な私には厳しい場所に居るもので。私の周りにはバファ〇ンのようにーアナタの半分はやさしさでできてますーといいたくなる人がいる。世界、ありがとう。

で。当日朝唐突に始まった縄文紀行、何の前情報もなく島根に乗り込んだ。道の駅で休憩をはさみつつ、あんまりというかほとんど行きかう車がない(連休中とは思えない…)山の中に突っ込んで、小1時間。キャンプ場を超えた山の中に、ひっそりちんまりとミュージアム。正直、車を降りたとき。長時間のドライブで、膨らんだもののひっそりとしぼみ始めていた期待、を、ほとんど落っことしたくらいには、しょぼい、と思った(とっても失礼だな、こいつ・・って私です)。

が、しかし。

中に入ると、新しく気持ちのいいこじんまりさ。縄文のころの森が火山と地形と天候のきまぐれでタイムカプセル化されちゃった(と理解しましたが、どうでしょう…?)、それが三瓶小豆原埋没林。これを展示したのが縄文の森ミュージアムである、ということがとても分かりやすく説明してあります(ので、間違っていたら私の理解力不足)。

そしてそこから、通路をたどって、外へ。さらにこじんまりした外観の建物に入ると。

 

ーーーはい、ごめんなさい。すごいです。しょぼいとか、ないです。ほんとに、とっても、心から、すごい。

たてものの外壁に沿うように螺旋階段があり、中心部には巨大な、としか表現しようのない、立木。縄文とか、歴史とか、どうでもよくても。埋没林、って生活に何の意味があんの、と思っちゃうタイプのヒトでも。たぶん、ちょこっと人生観が揺らされる、そんなサイズ。そんな、展示。

うわぁ、とか。ほえぇ、とか。意味をなさない感嘆詞とともに階段を降りる間も、展示されている木、いや樹から目がはなせない。そこに坐しているそれだけで時の流れやら地球の在り方やら、なんなら自己の存在やら、それに惹き込まれていきそうな哲学的でありもっというと宗教的ですらある、存在感。さらに、そこここにある地層標本は、時間の流れを凝縮して魅せています。

地上に出てくると。芝が整えられた庭、すぐそこには里山。生活の気配はあるけれども、人の気配は(観光客以外には)ほとんどない。地球が生まれて、生命が生まれて、積み重ね積み重ねた末に、今があって。

うん。いい旅、でした。

 

さんべ縄文の森ミュージアム(三瓶小豆原埋没林公園)

写真をとろう、とは思ったのですが。このスケールは、スマホには収まらん、と断念。とくに注意書きもないようなので、リンクを貼りました。だめだったら、ご指摘ください。

雪崩れない、生活

縦のものを横にして、横のものを縦にして、お片付け終了として。

お部屋にひとつしかない机の上は、いつも何かに占拠されていて。食事のたびにぎょぎょっと積み上げる。積み上げられたものは、ある時唐突にチェックを受けて捨てられるのだけれども、その時当然に紛れ込んで居る、期限切れのナニか。そして、ああこんなところにあったのね…という、あの時探していたナニか。そんなナニかさんたちと向き合う羽目になるのです。

机の上に放置されがちなのは、どうしようもなく紙類。DM、チラシに紛れる必要書類やら大事なメモ、そして読む気が詰まった本(つまり手付かず)。形がバラバラで分類がされていないので、ご飯食べたい、なんか作業したいとき、とりあえずで積み上げて。そしてそこにつみつみつみつみとくりかえし、雪崩れてすそ野をひろげ、そこにまた積まれ積まれて、もう詰んだ・・となってやっと分類処分。1割くらいになったところに、また、つみつみつみつみ…以下同文。

そんなあなたに、これ。セリアの書類ホルダー。挟むタイプのブックスタンド。本だけでなくフォルダーに入った書類も、立ちます。かなりふにゃってても、立ちます。1個あれば、立ちます。

なんとかくのセリアパトロールで、ふと手に取り、机の上の惨状が頭をよぎり、連れて帰ってきたわけですが、大正解。

まあ3日ほど前に整理を済ませたばかり、ということもプラスしてたとして。いや、積み上げるよりも立てるほうが圧倒的に場所を取らない。そんでもって、たとえば封筒1つでも自立してくれる。さらに、これがいっぱいになったら片付けないとな、がわかりやすい。

もう1個ほしいなあ・・分類して立てとけば、探し物も楽になる、ような気もする・・が、しかし。

大雑把にでも家に入れた時点で分類できるなら。そもそも雪崩れることはない、これまでの私の机の上・・。

これに収まらないとなったら、おかたづけ。

せめてここから、始めよう。

 

 

こんなに薄くてもしっかり自立。10cmくらいまでは引き受けてくれると思います。
ハードカバーの本もよたれず立ててくれたので、けっこう頼りになりそう。
商品名:一冊でもしっかり立つ 書類ホルダー
私が行ったセリアには黒しかなかったけれども、白もあるらしい・・

 

 

 

心にいつも、免罪符

いつも心に一人の友人がいる。もう30年ほど誕生日とクリスマスに贈り物をしあう仲。彼女のセンスがとても好き。

歳の数分のバラの花をいただいたのも、彼女から。人生で初めての出来事(最後ではない、と未だ信じていたい…。また欲しいのか、と言われると、それはそれで悩むけど)。案外な重さにびっくりして、抱えてきてくれた彼女とはしゃぎ倒した記憶がある。

東北の街で知り合って。シンボルタワーに登ろうと深夜に非常口を探したのも、夜中の海に花火をしに自転車で出掛けて迷子になりほとんど夜明け前にたどり着いた浜辺で爆睡したのも、小旅行と電車に乗って切符を落として線路を横切り金網を越えたのも、彼女とだ。

今では数年に一度会えるとラッキーな相手だけれども、それでも折りにふれ心にうかぶ…というとなんだかハートウォーミングだけれども。

実のところ、折にふれというのは、いつもいつでもお買い物のとき。

ちょっとお高い、日常的には使えない、何に使うかわからない、それでも欲しい。そんなときに、彼女がくっきりと輪郭を持つ。

そうだ、彼女にどうだろう…。

モノを手に入れる喜びってのに抗えない、でも手元に置くには大義なく分不相応ですらある、からして。

贈り物なら、赦される。

というわけで。彼女への贈り物が年2回、とてもとても楽しみに、このカードを使っている。

ほんとうに、これまでも、これからも、よろしくね。

 

 

 

山手線とベルト

山手線で空席ありだと、座りたいお年頃です。立っているのが辛いというよりも、距離感がツラい。ぶつかりたいわけではナイけれども、押されてのされて、どうしても…という時でも。世間はカラい。押しのけて行くぜ、というほどのガチ勢ではないけど、他に動く人がいないなら、すすっとお尻をおきに行く、そのくらい。

で、座ると。目の高さが、ちょうどベルト。その日、混んできた車内で車窓も広告も見えなくなって、なんとなく目に付いたのが、ベルト。

ちょっと、いやかなりくたびれた皮っぽい黒ベルト。皮の表面は細かく剥がれウツボ柄。そして、ベルトの端がひょこっと飛び出している。

たぶん、この『ひょこっ』がワタシの目を惹きつけた。ベルトの穴は一番外で止められていて、ベルト通しには届かない、ひょこっ。ヒョウより細かいウツボ柄…とベルトを観察していて、少なくとま3つ目のベルト穴まで使用跡を認めた…。

となると、この方は、このベルトをしてからベルト穴3つ分の体型の変化があったと、推理した(というほどのことか?)。そこはかとなく、お腹はベルトに寄りかかっている、ように見える。

と、満員電車の好奇心。失礼にならないように、そっと。それでも自然さ風味も添えて。ベルトの主のお顔を拝見。

おもったよりも、歳若く。おもったよりも、白くもっちりとした、頬周り。

見てはいけないものを見てしまった…わけではない、けれども。

ちょっとそんな気持ちで、さっと目を伏せた。

おもうに。

彼はここ最近、その身に蓄えを成すことになったのではなかろうか。初々しい、というか、馴染んでいない、頬のまろやかさ。ほんの数ヶ月で身につけた仮初のオニクが、白く輝く…ようで。

そういえば、ベルト穴。一番奥のものが、使い込まれては、いないか…いない、か…。

結局。そこから2駅ほどで電車を降りたのだけれども、彼が空いた私の席に座ったのかどうかも確認していない。

でも。この日のことは、私の胸に刻まれた。

ベルトも、結構大事だなぁ、と。