さだまさし

防人の歌、と出くわした。YouTubeは、ときにえらいもんをすすめてくる。

さだまさし。小学生の頃から彼の歌はコンスタントに聞いていたのだけれども、ここんとこすっかりとご無沙汰でした。皿洗いがてらのYouTubeで、とくに避ける理由もない、なつかしさからはじまって、そしたら。

途中で手が止まって。背中の毛が逆立ち。鳥肌がたった。

よく知ってる、何度も聴いたうたなのに。こんなにちがう、うた、に聴こえる。だって、だって、と。どこかが、叫ぶ。

 

海は、死ぬだろう、それほど遠くない未来に。

山も、死にかけてる。とてもゆるやかに。

春は。秋は。もう逝ってしまったんではないかと思う、少なくとも日本では。

愛なんて、すでにからっぽで、ご立派な器だけ。それもアイとよぶのかい?

心って。そっちこっちで踏みつけられてる、あれのことかな。

大切なふるさと、を持つ人。それって、どれほどいるっての。

なりわいの中で、信じたきらめきは。すでに泥だらけ、なんですが。

 

なんてこった、な、地雷原。ああ、これ、たぶん。無意識の領域が、避けてた。だから、こんなにもお久しぶり、なんだ…。

この歌を。連綿とつづいていく、希望とか。ちょっとの切なさとか。そんなモノを抱えて聴いていたころがあったことが、すでにありえない。そんなやさしさ、すっかり擦り切れて、雑巾にすらなりゃしない。l

さだまさし』を小学生の私に教えてくれた人のことを思い出す。「この人のうたをきかない、ってことは、それだけの人生でしかないってこと」なんて、なかなか強烈なセリフと一緒に、聴かせてくれた、人。

 

おっしゃるとおり。それだけの人生、ですらなかった、ような。

 

とりあえず、YouTubeからテレビに変える。お皿を洗いきって、片付けて。アイスを食べよう。

それから。・・・それから・・?