漢方なわたし

ちょっとばかり面倒くさそうな病名をもらった。もうちょい良いものくれたらいいのに、医者ってば、不粋。

原因は不明で治療法なし、つまり良くなる時があるかもしれませんけれども、治りません・・となると、えらいこっちゃな感じもするが、風邪と一緒やんなどと、思ったりこったりする。まあ、この病、そうそう命にかかわるもんじゃないらしいし、そうなると風邪より安全安心な気もしてきたりこなかったり。

で、漢方薬を処方されまして。

根っから真面目でできている私としては、いつだってお医者さまからいただいた薬はきちんきちんと飲むんですけれど。どういうわけか掃除すると処方薬が大量に出てきて、これまだのめるのかな?とか考えたこととかないですし。予定が立たないのでまた連絡します、といって1年以上放置して、かかりつけ迷子なんてことはありませんけれども。

正直なところ。わざわざお医者さままで行ったんだから、その指示に従いたいという気持ちは、ある。でも、食後の薬を飲んだ後。例えば冷蔵庫にプリン見つけたら、食べちゃうんですけど、これは許されるのか否か。例えば食事時にはコーヒーか緑茶がマストな私。だもんで、薬を飲むために水を用意しよう、ついでに食器片付けて、なんてやってると、薬のことなんて何処かに飛んでいってしまう。薬を欠かさずのむのと、水でのむのは、どっちが優先されるんですかね、と。あれ?この状態で、医者に行っても治らんし、とか言ってるのは風評被害だな、反省しとこう。

閑話休題

今回の、漢方薬。食事の30分位前にのむ。二種類の薬の順番もあって、立て続けにのむよりは2・3分あけたほうが良いとのこと。食前のお薬、というのもあまり経験がないので、西洋薬でもこんな感じなのかもしれないけれども。

だいたい料理を始める前に薬を飲めばいいので、これは楽。時間を少しあけるのは面倒ではあるけれども、料理の手順のワンクッションをはさめばよいので、これもクリア。

はじめ、漢方薬を処方すると言われたときに。うわ、面倒やん、っておもったんだけれども。なんたって、漢方。体にゆっくり馴染んで体質ごと替えてこうってやつでしよ。煮出したり何だりするんだよね、そんでもってなんか手を抜くとそれまでの苦労が水の泡なのよね、ってなことをイメージしておりまして。

繊細で気難しい薬、だと思っていましたが、案外と楽ちん。まあ、食前薬ってなが性に合ってたってところもありそうですが。

ただ。なんとなく、間食が、できない。食前に、ってのは胃が空いてるところに、ってい 意味だよね、たぶん。ちょっと小腹がすいたなぁで手を出してたおやつたち。これ食べちゃうと、次の食事。しっかり空腹には、ならないのでは…なんて思うと。漢方ですから、なんたって。西洋薬ではないですからね、へそを曲げられちゃあ、困るんです。なんたって、漢方しかないんですから(←これだって治療薬ではなくて対処療法薬だけど)。

結果。むやみと間食しなくなりました、はい。これで病かよくなってきたとして。流石の漢方ってことなんでしょうかねぇ。

 

 

ごろごろゴロゴロ

体調がすぐれぬ今日この頃。発酵白米の呪いはそこはかとなく続いております。やっと来た休日、部屋でごろごろと英気を養うことのみが私にできる解呪法。ゴロゴロと不穏なおなかを抱えつつ、ごろごろ転がり気持ちを紛らわせていて見つけたのが、棚の下に転がっていたキーホルダー。ずりっと手を伸ばし確認してみると、おそらくは30年ほど前の逸品。深い記憶の霧の中を手探りで、当時を思い出したり・・なぞいたしませんが。

ハローキティのボールに革のベルト。そこに刺繍されている文字が「勝ち逃げ人生」。

肝心のホルダー部分はすでになく、どうにも使いようもない。

「勝ち逃げ人生」

30年ほど前の私は、そのあたりを目指していたんでしょうね、たぶん。

でもね。

逃げる前提条件が、勝つことなんです。つまり、勝たんことには、逃げられんやん。

若い私には、どっかで一回でも勝つことができると信じていた、というか疑っていなかった、んでしょうね。ほんと、若いってスゴイ。

ごろごろごろごろと部屋を転がり目が覚めたときには、もうどっかに紛れてしまった勝ち逃げ人生。

30年ちょいを勝ち負けで計れていたら。今ひとりでごろごろゴロゴロしてないんだろうな、たぶん。

そこはかとなく、トラウマ

つい先日、ほとんど千葉かもな都内JR駅をでたのが、お昼ご飯を食べそびれた午後3時。初めての駅で土地勘はゼロ。チェーン店が見えたのでその辺で、とも思ったけれども、だがしかし。胃袋が訴えたのは、定食希望、チェーンはイヤだ。

ここで昼ご飯を食べておかないと一日食いはぐれてしまいそう。時間に余裕あり。ってなことで、商店街らしき方面へ定食屋さんもしくは町中華を探して歩く。残念なことにこの商店街はチェーン店が多くて、胃袋さんの希望がかなえられそうもない。どうしたもんか、と横道にも目を凝らしつつ歩くとすぐに、定食のぼりを発見。店内は見えないけれども、薄汚れた食品サンプルが置かれている。ラーメンをメインにしているところは町中華、とはいえ定食メニューもあるらしく。

よし、今日は生姜焼き、とドアを開けると、薄暗く狭い店内、カウンター席に腰かけたおばあちゃんがうとうととテレビを見ていたのでした・・。

後から思うに、ここで店を出るべきだったんだろうけれども。なんとなく立ち尽くしてしまったんです、入り口で。おばあちゃんが立ち尽くす私に気がつくと、ささっと立ち上がり、ピッチャーをカウンター横の冷蔵庫から出してくれて。カウンターに伏せられたコップでどうぞとのこと。メニューもいろいろあるからね、と壁に貼られたものを指さして肩を抱かんばかりなフレンドリーさ。

とりあえず立ち直り、初志貫徹生姜焼き定食をお願いして、コップに手をのばして。

キタナイ。

・・気を取り直して、べったりとしたホコリがそれでもまだましそうなひとつを選ぶ。渡されたピッチャーから水を入れて。

水が、薄茶。お茶というにはふざけるな、ってな薄さで、水というにはいやどうなのってな、薄茶。喉が少し乾いているけれども、ちょっとこれはやめといたほうがよさそうな、色。

水はあきらめて、割りばしを確保。こちらはビニールに一膳ずつ個包されたタイプで、ちょっとほっとする。

ほどなくして、ちくわが1本、お皿にどてんとやってくる。定食はおしんこ冷ややっこ付となっているので、ひょっとしたらおしんこという役目を負ったちくわなのだろう、か。そしてすぐにお豆腐にネギが乗ったものが出てきたので、ちくわ=おしんこであることが確定。

取り直すべき気もちも、すでに宙に浮いているような感覚を抱きつつ、お店でちくわ1本食べるのは初めてだなあ、と箸でつまんでもそもそ。冷ややっこにかけたい、醤油さしにもべったりとしたほこり。袋入りのおしぼりを見つけて、それで周りをきれいにしてから、冷ややっこにかける。醤油の安全性についてはできるだけ考えないことにする。

そして一口目での違和感。豆腐の上のネギは、乾燥ネギのようなそうでもないような中間的な食感で。観察してみると、おそらくは切って保存した冷蔵庫内で干からびた、もしくは干からびかけたネギであることが判明。

基本的に出されたご飯は残しちゃいけない、と考えるタイプなもんで、ネギをできるだけ避けて豆腐を食べる。

残るは生姜焼きとご飯、スープ。ここから先は安牌、に違いない。安全が当たり前ではない、食事。何とかかんとか、かなりぼけちゃったね、なんて言いながらひとり暮らしをしていた祖母の晩年、たまに遊びに行って囲んだ食卓を思い出したりなんかもする。

スープは、しょうゆベースに先ほどのネギが浮いている。温かい=火が通っているという安心感。生姜焼きも湯気を立てていて、その下に申し訳なさげに干からびたキャベツ。シャキッとし玉ねぎがアクセント。生姜の風味のかけらもないが、肉にはしっかり火が通っている、安心。そしてご飯。ちょっとべちゃっとしているところもあるが、持ったお茶碗は温かく、ほっこりとひとくち。

そのまま、時間が止まる。吐きだしたい、という衝動をなだめる。でも、かみしめることはできない。身体全体が拒否している。口の中は変に甘くてどろんとした風味がこもっている。

エイヤ、で呑み込むんだのは、これまで受けてきた教育のタマモノ。胃に堕ちたご飯がキモチワルイ。さすがに、これは、むり、だ。

お茶碗をできるだけ遠くに追いやって、生姜焼きをともかくやっつける。さっきのご飯を上書きしたい。がしかし、生姜焼きの安全性もすでにシンジラレナイ。

失礼がない程度に、ご飯以外を食べ、お金を払って店を出る。なにか、なにか安全なものを、と牛丼屋に飛び込んで、暫し。あのご飯は、発酵食品の風味に近い、米麹の甘酒を作る途中のご飯、のような(食べたことないけど)ものではなかろうか、と思い至る。思い至る、が。

おばあさん、お店辞めたほうが良くないですか・・。

あれから数日。昔っからあるよってな風情の飲食店から、遠ざかっている。

 

PS 翌日は盛大に身体の中身がデトックスされてしまい、トイレの住人に。1週間以上たったけれども、胃の不快感は残ってしまっています。甘酒風味の白飯、危険です。

 

御祈祷とフェミニズム

ここ10年くらい、定期的に「御祈祷」をしていただいている。いつも同じお社で、年に一度か二度。自宅から片道3時間くらいかけて、それだけを目指して日帰りするのだ。何かが起こったときに、最悪な事態の3個手前くらいで済むのは、このお社のおかげ、とおもってしまうのだから、これはもう立派な信仰だろう。そろそろ行っとかなきゃな、と感じると何となく日程調整に入る。何かあったときには優先的にこの小旅行を予定にぶち込む。さくっと御祈祷していただいて、お社を一回り、礼をして帰る。滞在時間は、1時間強。常時御祈祷を受け付けているような、大きなお社。もうちょっとしっかりねっとりとお詣りを、とも思っても、なんせ片道3時間。あっという間に終電ぎりになってしまうのだ。

それでも、10年。御祈祷を執り行う方々の上手下手もあったりなかったり、はたまた流行り病で省略された作法あったり、変わらぬお社のたたずまいのなかで、その時々に時間をかけてもいいと思わせるだけの有難さ、ってなものがあったわけですが。

この度はじめて、ご神職が女性でありました。ああ、こんな分野にもジェンダーレス、とちょっとした衝撃を受けたのですが、そこは時代の流れというやつやろう、といつも通り頭を垂れてお祓いをうけて。

いや、結局。すっごく考え込んでしまった、ここ数日。

大神さまに対峙するご神職の小さな丸い背中が斜めに傾き、小首をかしげ手に巻物を持つ。読み上げる声は無理やりに低く出しているせいか、響きはなく張りもなく活舌悪く、正直何を言っているのかこれっぽちもわからない。

過去の御祈祷を思い起こしてみるに。ご神職の大きくて堂々と張った背中と朗々と響く祝詞(上手下手があるにせよ)が「お祓い」の場を神聖なものとしていたんだなあ、と思い至る。いや、もちろん個人の資質も習熟度もあろう、とも。つまるところ、わたしは男性骨格の背中と声を求めているのだろう、神に祝詞をあげるのであれば。

祝詞の後に巫女さんの神楽が続く。神主さんと巫女さんが入れ替わるとき、舞台の上にはどちらも女性、というところに違和感を感じてしまった。ご神職が女性であれば、巫男さんでバランスをとろうってことか、わたし。とさらに自問自答。今のところ巫男さんの存在は知らないもので、なんとも想像がつかない。でも、神におさめる舞を男性がおこなうのであれば、巫女さんとはまた違うものが良いような気もしたりする。

なんてことを考えているうちにさらに思考は飛んでいき、おおよその職業的性差についてなんてところに行き着いて。そりゃどっちでもいいやろ、ってものと、そこは性別必要じゃないか、というところがあるような気がしている。なんてことをつらつらと巡らせていくと、つまるところ、女性への優遇が行き過ぎてはいないか、と。女性であっても男性と同じように働ける、という分野ももちろんあるが、それだけじゃあない。今回の違和感も突き詰めていけば、そもご神職が女性らしい声で祝詞をあげちゃあいかんかったのか、と。無理に出ない声を出すから響かんかったんではなかろうか、などと愚考をはじめ。じゃあ無理をさせたのは、伝統かそれとも女性という性を抱えたご神職か、というところもあったりして。

そんでもってさらに考えを進めていくと。同じ人間であっても骨格的やら構造的やらにどうしようもなく性差があって。時代の流れという空気で圧し進めていくと、できないという崩しようのない壁との間でつぶされそうだな、なんてことも思いついてしまう。さらにはこれはどうしようもなくずっと感じていたのだけれども、女性という性を開放していこう、ってなムーブの陰で、男性という性の枠は、そのまんまにしてませんか、などと。

フェミニストといわれる方やらなんやらに叩かれちゃいそうな思考ではあるけれども。動物の世界では、性差で役割がある程度わかれている(たぶん)ように。どうしたってできないこともしくはできづらいことを、やりたければ自由にやっていいよ、っていうのもある意味でむごいことではなかろうか、などと思ってしまったりするのだ。男性は決して新しい命を産みだせない、そして女性だけで命を授かることもできない、のだから。それぞれの役割を分けることを『差別』と呼ぶのではなく、『区別』としたらどうなんだと。もちろん、その区別を乗り越えていきたい人がいたとしたら、よくよく考えてそれぞれの個人でがんばれ、乗り越えたつらさを社会だけの所為にはするな、っていう程度の厳しさで。

今の時代に乗りきれない思考の波に呑まれた、数日たったけれども。まだまだ波にもまれてる。

 

奈良のおみやげ

ちょっと奈良。日帰り予定だったんだけれども、1泊3000円しない宿を見つけてお泊り決定。半日くらい余裕ができたので、定番ながらに奈良公園。角を切られたシカが頭をかいておりました、樹の幹で。

奈良での唯一のお土産品。思わずガチャりました、ぷっくりんぐ。せっかくなので画像を探してみました、はい。

ターリンカプセルコレクション公式Xより

「遺跡や古墳、博物館に行くときにもおすすめです💪💕」。まんま連れてきました、キャプションも。ワタシ世代の少し前、抱っこちゃん人形というのがあったように思うのですが、まさかのはにわと土偶さん。そうですか、最近ではこういうのつけていっちゃいますか、博物館。

奈良のお土産物屋さんでうっかり出会って、まんまとやられてしまったよ、はい。結構カプセルはがっちり封印されていたので、家に帰ってから開けてみたんですが、うちに来たのはみみずく土偶。膨らませてうっとり、どこに置くかでしばしうろうろしてましたけれども、連れて歩く気持ちには、今のところなっておりません。

それでも、1日に数回は目が合っております、みみずくぷっくりんぐ。なんとなくニマニマしてしまうのは、なぜかしらん。・・・わたしのなかのコドモとオトナが手を取り合っているかのような、気恥ずかしさも込めて。

とはいえ、画像をさがしているときに。見てしまったんです、「全6種 ¥300(税込み)」…。はっきりといえます、わたしがガチャに突っ込んだのは400円だったと。

びみょうに、びみょうに・・・つらい。

 

秋の朝のクリームシチュー

肌寒い、を通り越しつつある季節。暑さの記憶に引きずられ、まだ半そでで過ごしているせいか、朝なんかほんとのとこ、寒い。冷蔵庫の中で無駄に冷えてるアイスコーヒー、そろそろレンチンで消費してしまわなくてはなるまい。

冷蔵庫の中身を思い浮かべて、あったかいんだからぁのクリームシチュー。夏はカレー一辺倒ですがちょっと寒くなるとシチューが恋しい。さっそくに材料を用意していると、皮が柔らかくなりつつある柿やら、賞味期限ですか今日ってな豆腐がそこにある・・思ったよりも魔境になりやすいうちの冷蔵庫。言い訳を考えるならば、最近家で過ごす時間が増えたってこと。旅たび旅とつなげているとさすがに冷蔵庫は空にする。で、帰ってくると空の冷蔵庫を何とかせねば、と買い物に出る。でる。そしてまた出る。だのにひとりで生きてんだよな、私。胃袋はひとつしかない、となると冷蔵庫はぱんぱんぱんと埋まっていって、片隅に追いやられる食材も出てきてしまい・・。買い物ジャンキーなのか、しょぼいけど。いやどっちかっていうと、割引シールジャンキーのほうが正しいかも。

まあ、そんなことはさておいて、と。厳選(?)した食材たちを無駄にすることなど、許されない(おかげで胃腸はとっても丈夫)。

しなびた柿は、皮をむいてもしっかりとしなびているけれども、とっても甘い。堅い柿がお好みですが、とろける柔らかさよりはしなびた柔らかさのほうが、好感度高め。とはいえ4個の柿を一気に食べるのもどんなもんだ、となると。そうだ、今こそ。人生初めて柿をクリームシチュー(になるだろうもの)に入れてみる。すでにしなびた柿の食感とか求めてないから、みじん切り。あとは変色しはじめたキャベツと冷凍庫の隅で固まるシメジ、これはまともに玉ねぎニンジンじゃがいも。

くつくつしたら牛乳…ってところで、賞味期限を迎えたお豆腐を手でつぶして入れてみる。ルーを入れてさらにくつくつ。とろみがついたら、ほい完成。

見た目は、たぶん?クリームシチュー。食べてみたらば、これが案外意外にしっかりクリームシチュー。温かくて優しいお味、ってやつだ。牛乳ほどにこくはないけど、豆腐くさいわけでもなく。ほんのり甘いのは柿のおしごと、ってやつだろう。ちょいひねくれた面々を、市販のルーが包み込んで、君たちはクリームシチューだよ、と言い聞かせてくれた、そんな逸品です。

ほくほくほくと食べて、ひと段落。やっぱり半そではもうしまおう、と思う秋の朝。

じゃがいもの皮はむかないタイプ
柿とヨーグルトを合わせたのも、実は初めてなのでした。

 

ちょうどよいがコンボした

どばーん。ざばーん。な海が好きですが、そういうところって移動がちょい不便。車があればずいぶん世界がかわるよな、とおもいつつも世界のために運転はしない。自分の幅感覚すらまともに把握できていない(つまりよくどっかにぶつかっている)うえに、右と左の区別ついてない(つまりアクセルとブレーキをしっかり把握できると思えない)という病を幼少のみぎりより患っているのだ。とはいえ身の程知らずにも運転免許証は持っている。教習所で助手席の先生が般若心経を唱えていたのも、今となっては良い想い出だ。その節は大変なご心労をおかけしました、すみません。運転免許証は立派にゴールドです。

というわけで、どばんざばんはちょっと難しいとして、せめてもと寝床は海の近くに置いている。とっても穏やかでおだやかで穏やかすぎる海のそば。船が通れば波がたつんですよ、ほんとそれだけなんです・・いいとこなんですけどね。海のそばやん、ってだけで選んだんですけどね、それだけに。コンナノウミジャナイ…とアタマのどこかがささやいている。そんな妖精さんを連れて、歩いて5分の海沿い散歩。

暑くもなく寒くもなく、ほんのりな風もちょうどよい。ぴしゃんぽちゃんな波をみながら、さくさくあるく。身体が軽いような心持(あくまで気のせい、わかってる…)気持ちも軽くて、どんどんすすむ。ここのところの運動不足解消に、ちょうどいい。いつもより多めに歩いていると、ちょうどよく砂浜がのぞいていた。

ちょうどよいのコンボ。のっかっちゃうか、と砂浜に降りてみた。ほんのちょこっと10歩ほどのぽっちゃんな波打ち際。

ついさっきまで海、そしてすぐにまた海に戻る砂浜は、1歩ごとに海水が滲みてくる。ざくっざくっと砂浜確認。海だ、海。目の前に大海原が広がってはいなくても、海。潮のかおりとくたんと倒れる海藻のにおいと・・・透明でうすむらさきの、おそらくクラゲ。はりがありちょっとしたオブジェのような、手を伸ばしたくなるような、そんなイキモノ。いやもうたぶん、イキはとれちゃってて、モノだけれども。

まさに猫の額ほど箱庭的束の間な砂浜。ぴしゃぽちゃ穏やかすぎる波。打ち上げられたんだろう、くらげ。いったい何があったんでしょうね、くらげ。

この世の中は、不思議がいっぱい。

うつくしすぎるくらげ
海も浜もとてもきれいなんですよ、きれいなんですけどね
キレイすぎるんです…