民俗学的ハムレット

もしも移動が必要で、時間的に可能であれば、鈍行列車に乗ることにしている。

いきなり民俗学的にいうなれば。

特急は、ハレ。鈍行は、ケ。

鈍行列車は、その地域の日常を切り取る。だからつまり。足あとをつけたこともない土地の日常の中をたゆたうことができる。町と田んぼと山をくりかえしくりかえし映しだす車窓は、ゆったりとゆったりと眠りを誘う。

お尻は痛くなるし、足はむくむし、慎重に乗り換えを組んでおかないと、たっぷりととったはずの時間はするすると逃げていくけれども。

他人の日常の中で、ひとりきりの非日常。ファンタジーに紛れ込めるから、やめられない。

とはいえ、ここのところ。電車は実によく止まる。次々と襲来するアクシデントで、点検作業のてんこ盛り。暑さでふらふらになったのは、乗客かそれとも作業員か。。

申し訳ありません、を連呼するアナウンス。また巻き込まれたよと、ふらふらしそう。この先の乗り換えの回数と時間と。着くか着かないか、それが問題だ、、ハムレットも頻回になると、悩むのを放棄しはじめる。

で、結局。続いて3回、何かが折れた。引きが良すぎるなら、退いてみよう。

だので、しばらく鈍行封印。ついでに家にこもりたい。

車窓を通すと、何もかもが映えスポット