令和になって5年目。ゆるゆると過ぎる流れの中に、確かな匂いを残しているのが、昭和。
平成よりもひとつ前の時代、近くて遠くて、近い、ような、昭和。
括られるのは、現代。けれど、それは強烈に、歴史の匂い、を放つ。
明治以降。
どの時代にも、それぞれ特色があるとして。
としても、昭和はひときわに異彩を放つ。
ひとりで背負って立つとするならば、その歳月の重さに呆然とする。途方もない時間の中には、結果としての負け戦をも抱えている。
戦前・戦中・戦後。日常はおそらく、きっぱりと、隔てられたことだろう。令和を過ごす私には、戦前・戦中といわれると、関ヶ原の戦いとまではいかなくても、文明開化の音がしそうなくらいに、遠い出来事に思えてしまう。
かろうじて、戦後なら。なんとなくとはいえ、人が生活している音が、かすかに聞こえそうな。…とはいえ、高度経済成長期に24時間たたかってたという”じゃぱにーずびじねすまん”は、ほとんど同世代に小学生を追いかけまわしたという”口裂け女”のような存在感でしかないのだ。
財布の中にも昭和はあるし、昭和生まれ人だって、まだまだまだまだ現役世代。
なのに、どういうわけなのか。
昭和は近くて遠くて、やっぱり遠い。
昭和の抱える何もかもに、歴史の重さを、哀愁と憧憬を、感じる。
尾道で見つけた看板で、昭和の不思議を感じた日。