車の運転が、できない。
お国は、いいよ、と言っているが。人としての倫理観がそれを許さない。
そもそも。
エンジンのかけ方わがからんと、車は動かないのだ。
運転免許を取ったのは、〇十年前。実際に運転したのは、10回くらい。ここ15年は、ハンドルに触ったことがない。カギにさわったことは、ある。「あけといて」と、気軽に渡されるからだ。で、これかな、、とボタンらしきものを押していると、持ってればあくのに、、とあきれられる。持ってれば開く、と、開かない、の区別がつかんのだから、仕方あるまい。
その程度の知識人で、運動神経も切れて吹き流し、歩いていてもモノにぶつかる自分幅感覚の持ち主が、車を運転していいのか。。。
いくない。
走る凶器(狂気かも)となる未来しかみえん、ので。
でも、身分証明として免許証はとっても便利。なので、「免許証は持っているが、運転はできない」ことを、日々強く主張し、私の周りの平和を守っている。
しかしながら熱い想いも、伝わらない人が、いる。そういう人は。「運転できたほうがいいよ」と言い出す。でもって、「車の運転なんて、簡単だよ~」「免許もってるなら、大丈夫~」と、のたまう。
じゃ、今日やってみよう、、とか唐突にはじまり。強引に運転席に座らせて。「エンジンかけて」とおっしゃる。
さはされど。エンジンの手前で、アクセルとブレーキもわからない。何かに触ると車が動き出しそうで、運転席で硬直してしまう私。。。
するとね。
深いため息とともに、「もういいよ。」と吐きだし。大変に傷ついた表情で、いらいらと助手席のシートベルトをはずして、運転席側へ移動。
むりって、いったよね。。。
慌てて後部座席へ移動し、沈黙だけが支配する車内で。ひっじょーに不機嫌そうな運転手をうかがいながら。
いや、機嫌悪くなるのは、こっちでよくないかっっ。。と身を縮こませるのだ。
今度から免許があることは、伏せておこう。。。
精神的な平和も守りたくなる、今日この頃。セイギのミカタは、むずかしい。