ちょっとの傲慢、だからの理由

たらたらたらたらたらたらたらたら

ただひたすらに、単調に。わたしの毎日に音をつけると、こんなかんじ。ずっと同じ音、同じリズム、の繰り返しを同じ楽器が奏でている。時間に傷ついた弦が、撥が、リードが、たまに音を外す、それだけ。音が、リズムが、音楽になろうともがいたとて、わたしの耳には届かない。バーコードのような、、いや、バーコードのラインだって、太さはかわる。じゃ、判で押したような、、いや、はんこだってもう少し表情があるよね、シャチハタのコピーですか、ね。。。そんな時間を、たらたらたらたら、流している。

つまり。たぶん。飽きてしまった。いいかげんに、飽きてしまった。もう、音を出さなくてもいいんじゃないか、と思うほどに、飽きてしまった。から。

音とリズムがもがく、その一瞬をつかまえてみようかと。それで、できるなら。自分で音楽を創りだしてみたら、どうなるのかな、が。たぶん、ブログ。

とはいえ、ね。何にも入ってない箱は、ふってみても、カラともいわんのよ、これが。だから。しかたなく、ほかには何にもないから、どうしようもなく。ひたすらに続く、たらたらたらたら、に目を凝らした。耳を凝らした。心も凝らした。

たら、が、だら、になりかける瞬間を。ったたら、になった瞬間を。掴まえて、取り込んで、放さない。刻み込んで、持って帰って、形を創る。かろうじて握りしめたひとつの音符を、ブログに起こす。ひとつのブログが、その日の私の音楽で。たらたら、だけでない、なにかにする、、、と。。。

つながっていく毎日に、色がついた。

これまでは。たらたらたらたらたら、だけでやり過ごしていたけれど。だのに、やり過ごすことにうんざりしていた、けれども。

たどたどしい色をもった日が、つながっていく。どんな情報も持たないバーコードに、彩がのる。シャチハタコピーが、ハンコに、なる。そうしたら、どんな音が、音楽が、溢れ出すのかと、、、その先が、知りたくなって。

続けること、それ以外はこだわらない。ということにしたけれど、それでも。

みていてくれる、だれか、がいないと続かない。結局のところ、わたしは、わたしに、いちばんに、特別に、あまいのだから。

たらたらたらたらたら

別に、生きていけないわけじゃ、ない。そこら中に転がってる、不安だって、不満だって、拾い上げなきゃ、あるだけ、で済む。ちょっとしたラッキーだって、差し出されてたかもしれないやさしさだって、みえなければ、動かなくて、いい。全部ふさいで、何にも考えないで、感じなければ。だからといって、何に困るわけではない。やり過ごすには、最適解。

でも。先を、その先を、見たい、なんてサイコロ、転がしちゃうなら。すぐに自分を甘やかしてしまう、わたしだけでは、かなわない。

ひと様に、見ていただける、環境で。

追いかけてって、とっつかまえて、見て。って言えるような、そんな大したものにはならないから、ひっそりと。万華鏡のようにカラフルな毎日ではないけれど、どこかの誰かに何かを負わせても。わたしには、見たい先がある。

だから、わたしはブログを書いている。

 

特別お題「わたしがブログを書く理由