わたしの尾道写真データには、海がない。
流されながら渡る船。向こう岸のレトロな工場と造船所。残しておきたい景色はたくさんあったのに、スマホを構えることはしなかった。
見つけてしまったのは、日本一の大鳥居。西へとのびる海の道。見ているだけでおなかいっぱいなむなむなむ。どうしたって目が奪われたんだから、しかたがない。
つまるところの。
尾道大橋が、俗世と神域を隔てる一の鳥居で。尾道水道が、西にひかえる神の島宮島へと続く参道。
囚われるのは、一瞬で。一度そんなふうにみえてしまうと、もう鳥居にしか、参道にしか、みえなくなる。
荒川より狭くない?といいたくなるような、海、だけれども。
対岸の造船所も、陸地に佇む船のような市役所も、ましてや尾道大橋だって、実のところは、まったくもってー神域ーとは程遠い有様にも関わらず。
朝日の頃に大橋は、朱く染まって鳥居にかわる。
そうして、海が。この道が。おひさまの光をうけとると。
潮が、波が、飛沫までもが。珠を宿してかがやくように、光と遊びおどりだす。
そのとき、たしかにこの道を。だれかがなにかが、あるいてく。先に在るのは、神の島。おそらくそこは、神の参道(みち)。
尾道大橋から、西のかなた。つづいていくのは宮島へ。
ほけほけ過ごした遊歩道で。とおりすぎるその瞬間を見逃すまいと目を凝らした。雨の季節のほんのすきまに、降りる光を待ちわびた。
そうして、少し想いを馳せる。
たとえば、凛々しく澄んだ冬の日は。たとえば、気怠く溶けた夏の日は。
どんな姿を魅せるのか。
おのみち、このみち、かみのみち。