プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿監督

プロフェッショナル、観ました。宮崎駿

何の気なしにテレビをつけたらやってたよ、てな流れなもので、途中から。高畑勲が亡くなって、弔辞を読んでいるあたり、出逢ってしまった二人のあたり、から腰を据えてみることに。5分後で宮崎駿はポルコに見えてきました。紅の豚さんです。仲間たちに置いて行かれて、茫然としているポルコです。そこからの宮崎駿は、コパさん(高畑勲)への執念と執着にもがいていました。となると、ポルコでは間に合わない。それほどの、おいてけぼりの喪失感がにじみだす。この二人は、たぶん、どうしようもなく、パートナーだったのだろう。

あえて夫婦と前時代的に例えるならば、宮崎駿が夫で高畑勲は妻。妻は夫がいないと生活ができない、、ような顔をしてはいるけれども、実のところ飄然と生を全うできちゃうのが妻。それでいて夫は。自分の傍らにいるべき、当然の存在としての妻の存在が消えると、茫然とし愕然とし悄然とし。そう、水中に落ちたかのように息ができずにただに静かに溺れてしまう。

そうして、鈴木敏夫は。宮崎に浮き輪を投げこむ。何度も何度も。宮崎を岸に戻すべく。

ーなんて、さ。まったくもって妄想展開なんだけど。ただひとつだけ確かなことが、ジブリの世界は宮崎の中にたしかに息づいていたんだ、と。そして、すべての作品は溢れ出したパラレルワールドで。ああ、やっぱりあったんだね、いたんだね、、ってな現実感で、世界の境界線を探したくなった。

とにもかくにも、ジブリの皆さん、ありがとう。。皆さんの産み出す世界がとても好き。

そうして。高畑勲さんのご冥福をお祈りし、宮崎駿監督の心が少しでも癒えますように、と。日本の片隅で、希います。

源頼朝に、徳川家康に、西郷隆盛に、ともかく歴史上の偉人には敬称をつけずに済ませてしまうのと同じような重みで、ほとんどの敬称略。