つくし、よもぎ、ぜんまい、わらび。
狩猟採集民族だった(かもしれない)のDNAがそうさせるのか、季節になるとよく採って遊んでいた。今ならわかる、下ごしらえの面倒くささに、親には決して喜ばれはしないのだけれども、採りだすと夢中になってしまうのは、これまた仕方なく。つくしとよもぎは、川の傍か、犬の散歩コースには当たらないような場所から採っていかないと捨てられてしまう。わらびとぜんまいは、そも人がそれほどこない山の入り口あたりで採るので、一緒に行った子と、はぐれないように話しながら。たぶん小学生の頃にはそのへんはなんとなく身についていた。それでなくても、クマもイノシシも日常的に居る環境だったのだけれども、よく子どもだけで山に入っていたもんだ。。
せんぶりは母と。さんしょうとわさびは父と。どちらも集落の山に自生していた。これは近所の人には知られてはいけない、と言われ。なんでもないさんぽのふりをして山に入る。そしてなんでもないふりで当座必要な分だけをポケットに入れて。たぶんどの家でも、自分で見つけた場所があって、そこは各家での秘密、ってことになってたんじゃないかな、、と今になると思う。
一方で、たけのことか栗は、大体だれかの山のもの(集落の山ではなくて個人所有の山)だから、勝手にとって(例えば道に落ちてるのを拾ったとしても)きたら、むちゃくちゃ怒られちゃうので、これは一度失敗すると二度とは手を出そうとは思わなかった。その点、柿は緩い。誰かんちの柿でも、子どもが採ってその場で食べるくらいは、なんとも言われなかった。ただ、柿の木に上るのは、怒られるけどね(これはたぶん、柿の木は折れやすいから、だったような気がする)。
そういえば、タニシと彼岸花。このふたつは持って帰って、とんでもなく怒られたことがあった。タニシは捕りやすいし、彼岸花はキレイかな、、てな軽いノリ。だのに、どっちのときも、家が火事になったらどうする、、って、えんらい剣幕で怒られた。当時の私には意味不明で(今の私にも意味不明)、なんかよくわかんないままに、それでいてえらいことをしてしまった、、てな泣きそうな(ひょっとしたら泣いてたかも)気持ちで、走って捨てに行った記憶だけは、刻まれている。タニシはともかく(あんまりひょいひょい見かけるもんでもないのでね)、彼岸花は今でもちょっと近づくのが、コワくて、花屋で売られているのを見ると、ひゅん、、とする。だというのに、田んぼの畦を燃やし尽くすように埋め尽くす彼岸花を見ると、あ、帰ってきたな、、と思うのだ。
狩猟、、はさすがに(DNAだけでは)無理、として。川ガニ(ワタリガニくらいのサイズのやつ)とかうなぎは、とったドーーーの世界観。家に走って帰って、褒めてもらえるやつ。ドジョウとどんこはそこそこの量を取らないと、返してきなさい、となるので、一段落ちる。あとは鹿の角。これは拾って帰ると、主に父が喜んでいたような気がする。とはいえ、鹿の角で何をした、という記憶はない。。何してたんでしょうね、鹿の角。今も家に1対はあって、これは確かどっかに飾って(放置してともいう)あるけれど。
学校(ようちえん)から1時間以上かけて歩いて帰ってからの、外あそび。子どもの体力って、ほんと無尽蔵。。お寺の鐘が鳴ったら、家に帰って風呂をわかすんだよ。。今よりブラックな生活だったかもしれん、けれども。なんか今よりもずっと、ぴかぴかしてる、ような気がするのは、時間が磨いてくれたから、、なんてね
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