むかしのはなし(1:おふろとか)

わたしの家は檜風呂だった。っていうと、ぜいたくな感じもするけれども、DIYの檜風呂。昭和の終わりごろの山は檜と杉であふれていて。ぜいたくというなら、ホーローの風呂のほうがよっぽど、だった。

檜の風呂を薪で沸かす。薪で沸かす、のは子どもの仕事で。5時にお寺の鐘がなったら、家に帰ってやんなきゃいけない。おんなじ集落で、檜風呂はいても、薪で風呂をたくという子はいなかったから、うちのこだわりだったのかも。薪の風呂のほうがよくあったまる、、とオトナによく言われた。とはいえ、めんどうな作業の上に、結構に難しい。ばあちゃんに風呂の焚きつけを教わったけど、なかなかにうまく火がつかなくて半べそかきながら、薪を組んだことは覚えている。あと、湯加減。風呂が沸いたら熾火に落とすのだけれども、このタイミングがわからない。何度も確認しているうちに、ぬるいのか熱いのかわからなくなるのだ。はじめは風呂の蓋でそれから腕をいれて湯をかきまわし(当然底のほうが熱いので)て真っ赤になった腕。熱すぎれば水でうめればいいのだけれども、水が多すぎるともったいないと怒られ。ぬるい時にはこれじゃあ風邪ひくと怒られるうえにもう一回薪をいれなきゃいけないので、かなりの手間なのだ。

風呂といえば。秋になるとシイタケの原木(2~3本)置かれていた。広い風呂ではないので、シイタケに遠慮して湯を使った。うちのシイタケは山の中に組んであったので、寒い時期に気軽に食べられるように何本か置いていたんだと思うけれども。寒くなると当たり前にそこにあって、あったかくなるといなくなっていた。小学生のどっかのタイミングでホーローの湯船に代わったけれども、やっぱり薪で風呂を焚いていたし、寒くなってくるとシイタケの原木と一緒に風呂に入っていた。ホーローに代わった時に風呂場が広くなり。当然にシイタケの数も増え、やっぱりなんとなく湯を使うときはシイタケにかけてしまわないように気を使っていた。平成になってしばらくしてから、家の改築に伴い、いわゆる普通の(薪で焚かない)風呂になって、シイタケは風呂場から姿を消した。当時、ひとり暮らしの風呂にシイタケを置こうなんて考えもしなかったけれども。正月に帰省して、シイタケがいないなあ、、とさみしくなったくらいには、シイタケと一緒にお風呂になじんでいた。

ホームセンターでシイタケの原木を売っているのに行き会ったとき、風呂場に置こうかなあ、、とつぶやいて同行者をドン引きさせたことがある。そのときにはじめて、普通の家では風呂場にシイタケを置かないことを知ったのだ。家の風呂は薪で焚いていたという話を他の人から聞いたことがないので、ガスとかの風呂とシイタケの相性の問題かもしれない、、とも思っている。どういう相性かはわからんけれども。

そういえば。薪の風呂はたしかに芯まであったまる、というか、温かさが持続する。ほこほこと身体の中があったかい。あのあったかさは、ガスとかのお湯とはまた違って、温泉に近いような気もするけれども、、ああ、銭湯。。あのあったかさ。

銭湯でシイタケ、見たことないけど。。

 

 

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