今週のお題「名作」
10代の頃。自転車で20分、バスで1時間かけて町に出て、映画館へ行った。そのころの映画は、二本立てがほとんどで、ハリウッドの大作でも扱いは同じ。しかも指定席なんてたぶんなくて、途中入場可。つまり、一日中いても大丈夫な場所だった。
さらにいえば、若気の至り。映画をひとりで見ている=オトナやん、すごくない。。という、、、オトナからすれば、いやべつに、となる高揚感も相まって。そりゃあ、入り浸ってました。限りある資源(小遣い)をつぎ込んで。
で、そんなころに見た1本。黒澤明、といえば、世界の黒澤、で。実際のところ、おもしろそうとか、愉しそうとか、そんな感情はほんのちょっと。クロサワ見に行く私、スゴイやつ、、ってなところが、9割。。つまり、わかったふりしたさっぱり残念な、ガキんちょです。想い出の8割は恥でできてるな、私(後の2割が後悔)。
結局のところ、難解すぎて(だろう、おそらく)、何の映画かもさっぱりわからんかったし、わかったふりしたらカッコええな、と思ったことくらいしか覚えていないのだけれども。。だのに今も。その一場面に、映像に、追い立てられることが、たしかに、有る。なんなら、迫られ、頭の中の映像部門を乗っ取られることも、有る。それが、「夢」。
ーこんな夢をみた
このひとことが、今の、あれから何十年と歳を経た私を、追い立てる。このひとことが、降ってくる、もしくは湧いてくると。
狐の仮面の花嫁行列、トンネル、雪、ひな人形。。。
脈略もなく、5Kハイビジョンの圧倒的映像美、、ってな感じで、場面が展開され。目の前の、そこにある現実は、まごうことなく「色褪せる」。クロサワの圧勝、である。
10代の、あの「わたし」が、スクリーンで、「夢」を視た。
おそらくこの先も、この細い鎖は蛇のように纏わりついて、あのひとことを、忘れさせない。それは、呪い、によく似ているようにも、おもえるのだけれども。
手放すつもりも、描き直すつもりもない。これからもずっと、わたしの中で発酵し続ける、それが黒澤明監督の、「夢」。
たぶん、名作。