食べるものを自分で作ることが当たり前になると。誰かが作ってくれたものを食べることは、トクベツになった。
チェーン店もいつもの店も、なんなら育ててもらったご飯でも。安定感の中にひっそりとしたわくわくがある。まして、はじめましてのお店では。いらっしゃいませ、からすでにそわそわ。おさめきれない高揚は、わたしにとっては竜宮城。
目新しい舞台に役者たちの美しさに加えて、供されるのはスバラシイお料理。現実に何を持ち帰るかは、まったくのばくち。店から出た瞬間に、浦島の太郎さんではないけれど、もう二度と行くもんかとうそぶいてしまうことだってあるだろう。
いつものところ、も。そっとそーっと変わっていく。そこここに降り積もった年月が、戻れない流れを創り出す。澱みも溜まりも、そのままではいられないのだ。
だから、かな。ふわふわと食べるご飯は、トクベツなあじ。
その分。自分で作るごはんでは、どっしり同じ安心、を求めてる。食べたいものを食べたいようにできるのが醍醐味、、なはず。。
ま、ころころと転がっていくレシピのせいで、3割バッターが精一杯だけれども。
されど、3割。あたるとしあわせ。野球選手なら、一流ですし。
ふわふわトクベツ5割増し感動かもしれないごはんと、どっしり安心かもしれないころころ3割ごはん。
こんなご飯で、私はできている。