秋とアメ

食欲の秋が、近づいている。空が高くなる。馬のかわりに、肥え太りがちな、秋。

ご飯を食べられなくて、ひもじい思いをしたことは、ない。食べるものがない、という哀しい状況とは、幸いにして、無縁に過ごしている。食べすぎて苦しい、、という情けないことになることはあっても。生まれた時代と国と親に感謝、、どれか一つでもずれてたら、、、改めて考えてみると、かなりの幸いに恵まれている、と思う。

であるのにもかかわらず、わたしはどうにも口汚い。口に何か入れていないと、落ち着かない。きっと心理学とかなんとか、そういうものであれば、何か理由をくれるのであろうけれど。理由はともかく、いつも手元には、アメがある。

口の中が甘いと飲み物で流したくなるから、お茶やコーヒーを一緒に飲んでも違和感がない味がいい。さいごまでなめ続けるほど我慢強くない。大きいとかみ砕けないから、小さいもの。

改めてあげてみると、かなりなわがまま。こんな手前勝手な要望に応えてくれるものは、当然少ない。アメの売り場で右往左往して。あ、これ。と思っても、口に合わなければけっこう長い間の苦行、、となると二の足を踏んで。自分で選ぶとなると、結局のところ、いくつかの定番をぐるぐる回ることになっている。

出会いをくれるのは、ほとんどが誰かからのおすそ分け。新しい風は、いつも外から吹いてくる。よかったら、、と差し出されるアメは、気負わない気負わせない外交アイテム。わたしにとっては、もってこい、なチャンスなわけで。これはいいとなると、ときどきの定番がいれかわる。

暑さが少し落ち着くと、かばんにアメを放り込み、机にアメ用の瓶をだす。ごそごそととりだすアメの包み紙がさらっとほどけるようになると、夏はすっきり、秋になる。