日曜朝のチョコレート考

チョコがすき。

わたしの中でおそらくたったひとつの揺るがない感情である。どんな目にあわされても、どんなにつれなくされても、チョコレートが好きだ。チョコのない一日は考えられず、そこになければ迎えに行く。うんと体調が悪くてどうしてもチョコを食べられないときでも、そこにチョコがあれば、それを食べることを糧に頑張れるのだ。

パキっと割れる板チョコ。コリっと壊れる粒チョコ。ボキっとたたかう棒状のチョコ。国によってベースのチョコが少し変わる。もちろん値段も幅広い。たまにはバリ旨高級

チョコもいいけれど、安価でおいしいがベスト。いろんなチョコを試してみて、結局のところ、生まれ育った国に戻ってきた。

日本のチョコ、うまい。

基本的なチョコであれば、失敗したな、、ということはあり得ないので、安心してその時に一番安いチョコを買う。ちょっと冷やしてパキっと、ポキっと、ボキっと。ひんやりと走り抜けてそしてのこる。このほの甘さのために、次のチョコに手を伸ばす。

アーモンド、マカデミア、ビスケット、クッキーなどなど。チョコにくるまれて、はさまれて、のっけて、なんてのも、もちろんの守備範囲。生チョコ、チョコケーキ、トリュフプラリネも当然。とはいえ、替えの効く浮気程度の守備範囲。本命は無垢なミルクチョコ。

飽きっぽい私が、数十年変わらずにすがりついているのが、チョコレート。私はたぶん、チョコがなければ心の平穏とか安寧とかを保てない。嗜好品の唯一無二の場所にチョコがいて。好き、では物足りないくらいの存在で。これが推し、ってやつなのか。つまり人生の大半かけて推し活。なんかすごいな、わたし。

チョコがない、そんな世界では暮らせない。チョコが手に入らない土地ならそこを捨てるかもしれないし、生活にチョコを加えるためなら仕事を増やすことにためらわないだろう。チョコの取りすぎはよくない、とかおせっかいにも真剣に意見されたら、曖昧に微笑んでゆっくりとその絆を細く細く縁り直していくだろう。

改めて。チョコへの想いをつづってみると、今更ながら我ながら、ではあるけれど。かなりとんでも、イカレテイル。

タバコがやめられないとか、アルコールから離れられないとか、賭博で身を持ち崩すとか、いろいろとある何とか依存症。今まで全く理解できん、と。医者にかかる前に、本気でやめようと思ったらできるやろ、と。意志の強さの問題で、結局甘えがあるんじゃないの、くらいの理解で、なんなら知らない世界線のお話くらいの関係性でしたけれども、さ。

どこがや。

タバコをアルコールを賭博を、チョコに置き換えたら。おんなじ世界線です、たぶん。チョコは特には問題視されてないってだけだった。そう、意志の強さも甘えも関係ない。やめられんもんはやめられん。自分が自分であることをやめられんし、ね。残念なことに。

サク山チョコ〇郎氏と共に、イカレタ自分の凝り固まってた世界観に深く反省した日曜の朝。