うちの周りには、わりと住所をもたないねこがいる。
えさを持って歩くほどではないし、声をかけることもないけれど、
ねこやん。
と、眼で追うくらいには、好意を持っている。
彼らの歩く姿は、しなやかでうつくしい。毛づくろいをしているところにいきあわせると、ユーモラスでありながら鋭くて。邪魔をしないように、そっと目を伏せ通り過ぎる。のびって転がるところも、まるまるとまとまるところも、ハタっと耳を立てるところも、身を翻したかと思ったら振り返ってにらむところも。
ねこやん、ねー。
と、にまにまするくらいには、好意を持っている。
いや。好意をもって、「いた」。
近所の駐車場に、ねこのえさばができた。段ボールの寝床付き。いつもえさがたっぷりと用意されたそこは、住所不定のねこ様たちの社交場となった。
そうすると。社交場のねこ様たちは、当然の摂理として、トイレを求める。
結果。
うちのタネをまいたばかりのプランターが、まずは、選ばれた。次にイチゴの、ねぎの、バジルのプランター。
社交場ができて、半年近くたった今。
わたしは、うちの周りでねこをみかけると、とりあえず水をまく。
ねこやん、、なんて余裕は、ない。
うちのプランターを守るため。
あそこには近づかないようにしよう、、と、ねこ様たちに学習していただくために、水をまく。
はい、そうです。
ねこは、何にも、悪くない。まったくもって、わるくない。悪くないったら、ワルクナイ。
そこに食事があり、寝床があり。生きていくのにちょうどよい場所で過ごすことを、責めることなんて、できない。
だから、ね。ベルサイユ宮殿じゃあ、ないんだから。
社交場を作るなら、トイレも、作れ。