遺跡の名前を覚えるほどの余裕がなくても、聞いたことありました。三内丸山遺跡。
縄文でしたか、、と、ほんと名前だけ。
わりに街から近かった、三内丸山遺跡センター。ここに出土品を運んだのね、、なんてことはなく、ここが三内丸山遺跡だった。。。
広い。ひろい。暑い。あつい。
縄文時代の集落跡らしいけれど、ともかく広い。だだっぴろーいい、ピクニック広場に、点々とかやぶき竪穴式住居。という趣。暑い、がもう少し控えめであれば、走り出したくなるような風景。
ここあおもりだよね、東北だよね、だまされてるの、実は転移陣とかあって、どっかに飛ばされてない、わたしたち。だまされてるよね、ぜったい。。
などとぶちぶちぶちぶち言いながら、集落へ踏み込む。竪穴式だけではなく、高床式もあるし、竪穴式にしてもバレーコートがすっぽり入るくらいの広さがあるものもある。でっかい柱6本で構成された建造物も。
集落をぐるっと一周、ほとんど平坦で歩きやすい。集落の周りはぐるっと森のようになっていて、木陰で一息つきながら、案外と高度な建築技術、土木技術に妄想をはかどらせる。
そう、妄想。ここでは妄想し放題のうえに垂れ流し放題。だって、誰も否定できない。建築跡や埋葬様式、出土品などなどで、「かもしれない」を積み重ね「だったにちがいない」を創作していく史実。縄文くらいまでさかのぼっちゃえば、「だったにちがいない」までの道のりですら、果てしなく遠いわけで。
つまり。わたしの「かもしれない」を否定できる奴は、どこにもいない。。
発掘調査の現場までまわると、暑さで煮えてすでに空焚きとなった頭。火を噴く前に遺跡センターにもどって、ひとやすみ。
センターにあるさんまるミュージアムでは、たくさんの出土品とそこから生まれた妄想が形になっている。だれかとだれか、、の頭の中を覗きこんでいるような展示は、とってもわかりやすい。モノに何らかの意味を持たせるというのは、時代がさかのぼるほどに、むずかしくて自由だ。そこにあるモノが、約5,000年の時を超えて、さて、どうしたい、のやらはさておいて。
がっつりと取っ組むと、丸1日は十分にかかります。三内丸山遺跡センター。すぐそばにあおもり犬がいるのに、会いに行く余裕は全くなかった。。。