電車は乗り物でしかない人がサンライズにのったら その2

深夜であろうが、駅は明るい。うとうとがくわっと遠ざかる。それを繰り返しつつ午前4時、いまさら窓にシェードがあることに気が付いた。おろしてみると穏やかな闇に包まれる。これならくわっと駅も大丈夫、、だけれども。外の景色が気になって少しシェードをあげると、時折ちらちらっと明かりが届く。電車が揺れると景色も揺れる。こうなるともう、好奇心にまける。シェードはあきらめて、外を見上げながらガタンゴトン。寝転がってガタンゴトン。電車は本当にガタンゴトンと進むのだ。

ふと気がつくと外がほんのり明るい気がして、起き上がる。体育座りで地平線を探すけれど、うまく見つけられず、ゴロンと横になる。ぐっすりとは寝ていない分、頭の芯がつかれているような気もするけれども、ガタンゴトンの非日常でどこかうかれている。電車の中で寝転がって、線路を背中に感じながら空を見上げる。せまい寝床にトクベツが詰まっている。

トンネルと駅を何度か通り過ぎ、気がつくと外は明るくなっていた。慌てておきあがると、窓の奥に海が見えたような気がした。窓にすがりついて海を探す。ほんのりと朱く染まる水平線と海。ガタンゴトンと揺れながら体育座りで見る、線路の向こうの朝の海。トクベツがまたひとつ詰め込まれた。

通り過ぎる駅に人の姿が増え始める。朝の駅に立つ人はみなどこか凛々しい。寝起きのまんま座り込んでいる自分を思い出して、そっとシェードを下げた。

終点に近くなり、隣の人は着替えはじめた。窓にぴったりくっついて、周りの気配をシャットアウト。荷物を整理して、少しだけシェードをあげて、駅にあふれる人たちを眺める。これからあの中に紛れ込まなきゃいけない。今日がそこでは始まっている。

私が乗ったのは岡山から東京まで、約7時間半。サンライズは新幹線の倍以上の時間をかけて、夜を走り抜けた。移動手段としていえば、乗り心地が特別に良いわけでもない(少なくとものびのび座席の下段では)し、速くもない。新幹線よりは安い(席もある)けれども、高速バスより(場合によっては)高い。時間帯で考えると夜行バスとかぶるので、唯一というわけではない。電車は乗り物(移動手段)でしかない私にとっては、絶対にこれ、とは言い難い、岡山から乗るサンライズ

でも。

ガタンゴトンと走る電車を身体全部で感じて、寝ころんで見上げる車窓の月と。深夜の駅のシンとした明るさと、明け方の薄くなる闇と。体育座りで眺める朝焼けの海と。

移動先への期待とか家に帰るさみしい安心とかを抱える、移動手段としてではなく。乗り物としての電車に乗ってよかった。たとえるなら、メリーゴーランド。乗っているというだけで、特別な日常ではない世界に連れて行ってくれる、そんなサンライズ

余裕があって(ついた日はお昼寝必須でした)、切符が取れたら、サンライズ

特別な選択肢としての、サンライズ

朝の線路

トクベツが詰まっていたのびのび座席

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