このおまんじゅうは、有り、難い。

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

縄文の土偶をちらちらと気にする毎日。はまる、というほどでもなく。推し、ということもなく。土偶の何かを見つけると、テンションが上がりますがな、、でも探しているわけではありません。。そんな距離感。

なんてのを、とくになんにも隠すことなく、誰といてもどこにいても常の如くに顕してきたここ1・2年。年に3回くらい会うかな、、な人からいただいたのが、これ。

はにまん。ポストカード(裏?は前方後円墳)の切手の小窓も埴輪さん。

いや、埴輪ですよ。。たぶん時代も形状も、ニアミス、、といってもいい、のかもしれないけれども。ええ、まあ。。埴輪もどちらかといえば気になる存在ではありますけれども、火焔土器のほうに秤は傾く、な。。あれ、時代的にはどうなってんだろう。。古代括りでいけるかな。。

ちょっと、あれれ、、ではあったけれども。埴輪を見て、古墳をみて、忘れたころに出会う私を思い出してくれたのであるからして。その心意気?が、ありがたい。賞味期限があるから、、とわざわざと届けてくれる(というか呼び出されたのであったが)、のも、ありがたい。

出会って話して。なんとなく埴輪から土偶へと誘導してみたけれども、その違いについて私もよくわかってないので、うまくいったのかどうかは、わからない。そも、埴輪はあっさり、土偶はこってり、という程度の違いでしか認識してないし。いや、図版ながめてうっとり、、だけではなくて、そろそろきちんと学ぶかな。。でも、土偶は見た目がいのち、、というか。この土偶をつくった人、の。生活の状況とかメンタルとかを妄想すると、揚がる。何万年前のヒトとのつながり、、のような何かを感じて、揚がるのだ。今よりもずっとずっと地面に近いところで生きていた人たちがつくった土偶という玩具(ではないとは思うけれども、それでもやっぱり、玩具)が、今の私にもこんなにもいとおしい。どんなに手段は変わっても、ヒトという生き物の中身はそれほどまでにかわってないんじゃない、、、ってな、妄想。。たぶんその辺を、いとおしんでる、だろうな。。

埴輪まんじゅうの、味は。ふつうにおいしい。としかいいようのない、ほんとうにふつうのまんじゅうで。ただ、やっぱりそこに、ありがたさとありがたさがのってくると、とってもおいしくて有り難い、おまんじゅうとなったのでした。