いま会いにゆきます?

約束をする。

人と会うとき、遊ぶとき。病院に行くときや、ライブだって予約をする。

社会はわりと約束でできている、のに。

身体が、拒否する。つまり、結構な割合で、直前に、熱を出す。そしてキャンセル。

例えば、誰かと会うとして。今日は何日で約束は〇日後、と当日の朝まで毎日1回以上確認する。約束当日は、今日がその日であることと、約束の時間を確認。持ち物の準備は前日までに。でも念のため、中身を確認。服装もすべて用意済み。さっと着替えて、もう一度、時間と持ち物を確認。約束の場所に行く道順をシミュレート。不備はないか、再度調べなおす。そして、遅くともこのころには。頭が重くなり、吐き気がわきあがり、背中はすーすーして寒いのに熱いということになっている。うんざりしながら体温計を脇に挟み、37.4くらいの数字にため息をつく。キャンセルを連絡するのが、約束の3時間前くらい、、、ごめんなさい。。。

たぶん。約束にはいくつかの恐怖ポイントがあるのだ。

まずは、日付をさらに時間、そして場所を間違える、恐怖。

認知機能に問題が?というのであれば、小学生のころには、もう、そうだった。今日という日を、日付より曜日で、時刻より時間帯で、識別している。それに、変化し続ける街は私から目印を奪っていく。何度か相手に待ちぼうけを食わせると、そして相手は少なくとも表面上はにこやかにそれを許してくれるものだから、間違えられないプレッシャーが育つ。

さらに、確認を繰り返す中で、約束の目的を見失う。

会ったところで何をするんだろう、話して何か変わるのか、遊んだところで何が残る、相手は無理に合わせてくれてるのでは、私との時間にどんな意味がある、…本当にそこに行く必要はある?

出かけることに「正しい理由」を求めて、楽しそうとか不安だからとか、ふわっとした感情を否定したくなるのは、流行り病に慣らされたせい…ということにしておきたい。

とはいえ、プレッシャーに弱すぎなのでは。認めますとも。事実です。

なので。

約束を、やめる。

会いたい人に会いに行き、話したい人と話し、行きたい場所に行く。

なんて、わがままな。なんて、自分勝手な。なんて、、、、

でも、ま。しばらくは。

疲れた自分を甘やかす。ではなく、弱すぎる自分を鍛えるために。

会えないかもしれないし、話せないかもしれないし、たどりつかないかもしれない、けれど。

厚顔無恥でかまわない、重ねた歳を無駄にしない、やりたいことにしばりをつけない。

というわけで、、、

いま会いにゆきます、かも、ね?