オトナの自分

出会って二日目の相手から、よる一緒にジョギングをと誘われた。

ちょっと親しくなりたい相手からのお誘いではあるが、走るという機能を人生のどこかに落っことしてきた自分には、ハードルが高すぎた。正直にその旨を申告して、断ったのだけれども。そうしてうっすらとしたほほえみをいただいたけれども。

ちょっと涼しくなったら、、とかいう、先延ばしもありだったよな。。。だがしかし、どうみても走る人には見えないだろう私を誘ったということは、社交辞令とかいうオトナなウソである可能性が高い。つまり、おそらく、この人と。親しくなるのは無理であろう。

ちょいイラな話はさておき。人生のどこかに落っことしてきた機能について考えてみると、案外とたくさんあった。

スポーツ楽しい機能はかなり早い時点でだめになっているし、友だち100人ほしいな機能もとっくに落とした。几帳面だねと最後にいわれたのはいつだったか。

とはいえ、落っことしてばかりではなく。後付け、とか、進化した、とかいう機能もあるはずなので(思いつかないけれども)。

人生の初めの頃と、今では、だいぶん違った属性の人間になっている気がする。

それがオトナになるということか、、、

コドモがオトナになるって、よそ様については当然のことだけれど、自分とは違う次元の話。自分は自分でしかないから、コドモだったこともオトナになったことも自覚がなかった。

これまでに落っことしてきた機能を拾いに行くことは、できない。けれど、同じ機能をつけなおすことはまだできる、としても。

もう一回つけたい機能って、あるかな。。

あの頃に戻りたいとは、思わなくなっている。今が一番、とも思わないけれども。

オトナでもコドモでも。すべてが思うがまま、ということは、ない。毎日毎分毎秒、全力で過ごすことができるのは、ほんの少しで。そんな人たちですらなんともならない現実と折り合いをつけているのだから。

なるように、なる。なるようにしか、ならない。そんな中で。

生きていたら、オトナになってた。