本読みの体力不足

ねこと一緒に暮らす、生活が変わる、性格がかわる、というお話と立て続けに出合った。

主人公には共通点がある。一人暮らしをしている、これから先誰かと同居するという選択肢を持ち合わせない、世間と距離を感じながら生きている、男性である、ということ。年代も性格も全く違うが、それぞれのお話の中で、かれらは偶然に出会ったねこと共に暮らすようになり、どんどんと生活パターンをかえて、もしくはかえられていく。かわっていく生活に自分も周りも巻き込んで。停滞していた日常が、閉じ込められていた願望が、どんどんどんとすすみはじめる。

読んでいるときも、読んだ後も、ほっこりした気持ちになるような、そんなお話。

そんなお話を読んで。お話の世界に浸るには、本を読むには、まだ体力不足かな、、、となったのは。

偶然にしろ、命にかかわることにしろ、どんな理由であったとしても。自分一人のテリトリーに相手を招き入れ、その相手の生活の基盤をテリトリーの中に整えて、相手に合わせて生活を変えることができるのである。相手がねこだから、かもしれないが。ねこだったとしても。いや、こちらの都合に合わせて動いてくれることができない、ねこだからこそ。受け入れ、生活ごと自分を変えていける主人公のスペックの、高さ。

さすがの、主人公。

自分の人生の主人公は自分であると、さだまさし様も謳っている。が、しかし。

主人公スペックと、おのれのスペックを比べてしまう。と、どんどんと読みすすむにつれ、ほっこりしながら、殺伐とするという、矛盾を抱え込む。

周りの人たちも、そう。お話の中では主人公とかかわりのある人であるが、一人ひとりが自分の人生の主人公として、ある。だから、おそらく。それぞれにそれぞれのお話を動かすことが、できる。

お話の、本の中にいる人たちは、それぞれに主人公になるスペックを持ち、そう、いろんな形のやさしさにあふれている。

そうして、私は。本の中では、生きられない。と、思い、知る。

 

いつからこんな面倒くさい奴になったよ、私。

ま、いいけど。