オトナと鳥

なんかアホ毛みたいなのがのこっているのです。

鳥であることは、わかる。

アスファルトにたたずむ姿はたよりなく。それを追い詰めて写真を撮るなんてヒドイことをしたのは、ワタクシです。なんか、だれかんちの玄関前すみまで追い詰めました。ストレスはハンパなかったと思うの、ごめん。はげないで。。。

すぐそばにはねこ用のエサに群がるハトがいて、そこから5mくらいのところにいたのが、この子。ハト、ではないのか。それともハトの幼鳥なのか、まったくわからない。羽を広げて飛ぼうとはしてたけど、ほとんど飛び上がることができてなかったから、幼鳥なのかな。って、満足に飛べないのに、地面にいていいのか、、この辺りはねこが多いのに。

たとえば、手を出したとして。

つかまえて、病院に連れて行って。そのあと、どうする。。飼っちゃいけない種類の鳥であれば、獣医さんに相談するんだろうか。飼っていい鳥だったら。。家に迎え入れる。なんて、できるの。。。

ゆるゆると、そしてときにはぎりぎりと暮らすひとりなヒトが、自分以外の命に責任を持つ。そんな決断を、数分のめぐりあわせでできない、、と考えちゃう時点で、たぶんムリなんだろう。かわいそうだけでは、より一層のかわいそう、を生みかねないから、な。

何十年も生きてきて。こんな決断がさっくりできないのは、生きてきた甲斐がないのか、それとも重ねた経験のおかげ、というべきか。無責任では済まされない、からといって、責任が取れるかもしれないことを放棄しちゃっているのは、ありなのか。それとも、なし、なのか。

子どもの頃なら。親にダメって言われた、ってのが免罪符だったけれど。オトナになってから、こういう出逢いが本当になかった。写真だけ(無理やり)撮って、そのままさよなら。でもね、そのあと。ずっと。どうなった、どうなる、どうする、、が。オトナの頭の片隅を、おそってくるのだ。

何時間後かにそこの場所を通った時。この子は、もういなかった。それが良いことなのか、わるいことなのかは、わからないけれども。