「ラディッシュをしたから見る(DIE RADIESCHEN VON UNTEN ANSEHEN)」
なんのこっちゃ、いったい。。となるこの言葉。今日は何の日ならぬ、今日のことわざ。今年に入るちょこっと前に思いついた。
まずは年が変わる前に、『誰も知らない世界のことわざ』という絵(?)本を手に入れたところから始まった。カラフルな表紙とさらっと立ち読みした時の意味不明な感じに魅かれて購入。家に帰ってゆっくり読むつもり、だったのだけれども。どういうわけか気が変わり。とりあえず、読まずに食事場所から手の届くところに置いてみた。そんでもって、1日1回。ぱらっと本を開いて、そこのページがその日のことわざになる(見開きページにひとつのことわざが紹介されている)ということにしてみたのである。
毎朝、、といいたいところだけれども、なかなかに現実は厳しくて。それでも、ほんとに少しだけでも余裕があれば、朝。なければ帰ってきてから、とはいえなんなら本にさわる暇もなく寝てしまう日もあるのだけれども。ぱらん、と本を開いて、絵と一体化していることわざを探して。日本だと○○だ、、と置き換えがすぐ浮かぶことも、たまには、ある。がしかし、ほとんどが「なるほど、そうくる。。」か、「なんや、それ。。」な、ことわざである。
日本語使いの身としては、それはことわざなのか。。。と???をいくつもつけたくなるようなものが圧倒的に多く。解説も付いているのだけれども、モノによっては、結局どういう意味なんだ、、、と、解説されても??は解消しないままになってしまうことも。まあ、これは貧相な読解力ゆえのこと、として。
それにしても、世界はこんなにもおおきいのに、私の世界はちいさいぞ。。。と、ちょこっと楽しくなったり切なくなったりしてしまうことわざとの遭遇、、である。
今日の占いの代わり、というとなんですけれども。かみさまのいうとおり、と唱えながら自分の手で本を開いて、ことばをひとつプレゼント。まだまだ始めたばかりの新習慣なので、同じことわざがめぐってきてはいないのだけれども、重ねていけばだんだんとことわざにわたしの色がついていくんだろうなあ、と。それもまた楽しみであり、切ないことでもある。
冒頭の今日のことわざ、意訳すると「お前はもう死んでいる(私見)」ということらしく。うん、ちょっとterribleな一日では、あったな。。なんて、振り返るとクスりと苦笑いに変えられるから、それもまた、いとおかし。