むかしのはなし(4:はじめての葬式)

裏のおばあちゃんはいつも家の角に座っていた。大きいといえば大きいけれども座るには小さな高さ20cmほどの石。うちの裏玄関(家族用)をでると必ず出会うところなので、挨拶は、する。けれどもそれが返ってくるかどうかはおばあちゃん次第。ほとんど意味のあることを話すことはなく、ただ朝から暗くなるまで、そこに座っていた。なので子どもな私は。どうにも相手がいないときにおばあちゃんのそばで過ごすこともあった。小さな小さなおばあちゃんは、ひょっとしたらほとんどお地蔵様のようにそこでにこにこしていたから。

このおばあちゃんのお葬式、が、私にとって初めてのお葬式。

その日は良い天気だった。おばあちゃんの親戚筋の子どもが集められ、いろいろと役を任される。おばあちゃんが冥土に行くときの杖を持つ子、こいのぼりの吹き流しのような布がついた竿を持つ子、ちょうちょが揺れる飾りを持つ子、花の飾りもあったかもしれない。長い竿の先に大きな網目のかごをつけてその中に折り紙を切ったものを入れたものをもつのは少し大きな男の子だった。棺桶に入ったおばあちゃんが頭に白い三角をつけていて、棺桶をかつぐ大人の男の人も役割を持たされた子も同じように白い三角をつける。棺桶をかつぐ人たちはわらじを履いていて、これが珍しくてチラチラ見ていた。杖を持つ子が先頭で、吹き流しと飾りを持つ子は棺桶の前後に。かごはふたつ、一番後ろ。かごの中の色とりどりの折り紙を小さく切ったものが入っており、歩みに合わせてはらはらと花吹雪のように舞い落ちる。

私は自分が持つちょうちょがお日さまにキラキラと光りながらゆらん揺らんと揺れるのが楽しくて、風に乗った折り紙が前に流れていくがうれしくて、ふわふわとその行列とお墓まで行った。手を合わせて見送る人やあとからついてくる人もいて、妙な誇らしさがあった。集落の共同墓地は遊び場と呼ばれていた広場すぐそばの山の入り口で、お墓まで上がると、白い布と手に持った飾りを大人に回収された。そのあとは広場で他の子たちと遊んでいたと思う。

この時の私はまだ小学校に上がる前だった。なので、どうしようもなく断片的な記憶しかない。でも、それでも、あの奇妙に浮き立つ気持ちが焼き付いていて。黒澤監督の映画のワンシーンのように思い起こされるのだ。

集落での葬式行列はこれが最後であったこと、さらにいえばさいごの土葬であったことも、ずいぶんあとに知った。墓地のさらに奥の山の中に土葬する場所があり、いったんそこに埋葬した後、骨を取り出してお墓に収めたのだそうだ。

そういえば。うちのおじいちゃんが亡くなったのは平成も半ばを過ぎたころだったが、白寿まで生きたお祝いと葬式饅頭は紅白(通常は白と薄緑か薄黄色)だった。遠方の知り合いから、えらく驚かれた。長生きの大往生(あくまで家族の判断)、ええおまいりやったと故人を称え、紅白の葬式饅頭はその証左、ってなあつかいなのだけれども、これは地域限定だったらしい。最近では家族葬のため、葬式饅頭を目にする機会もなくなってしまったけれども、あのおばあちゃんの葬式饅頭も、きっと、紅白だった。

 

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